「明日はきっと」

 「もう!嫌になるよ。どうして自分の体なのに言うこと聞いてくれないんだろう……!」

 「……ごめんね、ケビン」

 「ああ、ママ、そうじゃないんだよ!」

 「わかってる。でも、こういうとき、やっぱりどうしても思ってしまうの。神さまのこと」

 「神さま?」

 「……うん。ケビンを産んだのはママだから。そして、ママも、自分の体なのに思う通りにはいかないってこと。ケビンを産んだことを後悔しているわけではないのよ」

 「わかってる。でもママは、……ぼくと違って健康なのに、やっぱり思う通りに動いてくれないの?」

 「ケビン、健康ってきっと、魂のことよ。あなたの魂はうんと健康だわ。例えばそうね、足の指は全然動いてくれない。すね毛なんて生やそうと思ってないのに生えてくる。痩せたいと思うほど太っていく」

 「寝たくない時に限って眠くなるとか? 」

 「反対に、寝なきゃいけない時に限って目が冴えてしまうとか」

 「お腹はすいてるはずなのに、食べたくないとか」

 「それはママの料理が失敗した時ね、ケビンったら。反省します。それにしても、ちょっと考えただけでこんなにある。思う通りに体を動かせる方が奇跡に思えてくるわね。そういうとき、この体は借り物なんだって思うの」

 「だけど、借り物なら、もっと良いものがよかったよ……。神さまは意地悪だ!」

 「ほんとね。……ママも、もっと、声が綺麗だったらよかったのにって思うわ」

 「そんなことない。だってぼくは、ママのこもりうたが好きだもの」

 「ありがとう、ケビン。私も、ケビンがそのまま好きよ」

 「ぼくは、……、ぼくはやっぱり動いてくれない体が嫌いだ……。もっと思う通りになってくれたらよかったのに。他の子みたいに、走り回ったり、飛んだり跳ねたりしてみたかった……。ごめんね、ママ。ほんとに……責めてるんじゃないんだ……」

 「うん。わかってる。ママだって、もっと綺麗な声がほしいときは、誰を責めてるわけじゃないもの」

 「だけど、ママの声は素敵だよ、ほんとに。歌ってもらったら安心するし、ほんとに、ママの声はママの声じゃないとダメだと思う。ママじゃなくなっちゃうよ」

 「おんなじよ、ケビン。あなたがあなたの体じゃなかったら、きっとケビンではなくなってしまうんじゃないかしら」

 「そうだけどさ……」

 「……借り物の体なのに、その体をなくしたらケビンでなくなっちゃうっておかしなはなしよね。でも、体をなくしても魂さえなくさなかったら、ママはきっとどんなケビンだってケビンってわかるわ」

 「だけど、体がなくなったら、どうやってぼくのことを見分けるの? 」

 「触れたらわかるわ、これはケビンだ!って。ケビンはママの声が変わったら、ママのこと見分けられなくなる? 」

 「んー、わかんない。でも、あの歌が聞けなくなるのは嫌だな」

 「ママも、あなたがこの体を手放してしまったら悲しいわ」

 「わかってるけどさ……、でも、ほんとに、あとちょっとだけ、あそこにいきたいって思うほんの先にいくのがもっと上手くなれたらいいのに。……この体でいいからさ」

 「ほんとね。ママも、この声でいいから……この借り物の体でいいからもう少し上手く自分の体を使えるようになれたらいいのにと思うわ。それで、毎日、繰り返し歌うのよ」

 「そっか……! そうなんだね。借り物だから、上手くはまだ使えないけど、繰り返してたら少しはよくなる? 諦めなかったら? 」

 「明日はきっと、もっと上手くいくわ」

 「……うん……ママ、こもりうた歌って……」

 「あなたは生まれた

  この小さな体で

  あなたという魂が

  この体に宿り

  あなたは生まれた

 


  あなたは大きくなった

  この震える魂で

  あなたという体が

  この魂を育て

  あなたは大きくなった

 


 おやすみ、ぼうや

 明日はもっと

 

  あなたは生きた

  この体と魂で

  あなたという世界が

  この体と魂を生かし

  わたしを生かす

 


  おやすみ、魂

  明日はきっと」

 


 「……すー……すー」

 「おやすみ、ケビン。いい夢を」

永瀬清子「流れるように書けよ」を読んで

詩をかく日本の女の人は皆よい。

報われること少なくて

 


で書き出されるこの詩の一遍は

 


はげしすぎる野心ももたず

 


先生もなく弟子もなく

殆ど世に読んでくれる人さへなくて満足し

 


しかし全く竹林にゐるやうなものだ

 


とくる。

呼びかけられて、心が洗われるようだった。

けれど、なぜ女詩人だったのか。

報われることなく、弟子もなく、たいした野心もないままに、流れるように書いてきた人は男の中にもいるだろうに。

日本の、と区切るのだ。

すべての女の人ではない。

 


日本の女が居たんだとわかる。

日本の女という生き方や暮らし方があったのだ。

男が居て、野心を求める生き方があったのだ。

今はどうかとすると、

そんな女は居なくなった。

日本の女を捨てて、皆、男になった。

女の生き方は否定され、

より良き生き方一つを求めている。

ジェンダーフリーが叫ばれながら、暮らし方は勝ち負けになった。

けれど、多様性と言いながら、羨むのは人の土地。自身の土地は捨てて忘れる。

暮らし方を知らない、男ばかりになった。

 


腐葉土のない土地で、自身が腐葉土になるのは嫌だと

耕さず、打ち捨てられて

 


女の生き方、暮らし方のあった方が

まだ自由だったと思うのは勝手だろうか

 


女の生き方を嫌うばかりに

一つの生き方を否定すれば

そこで暮らした良きもの

稲の実り、畦の草花、辻に立つ桜の樹さえ

共に植えた苗の喜び、叱られた子供の泣き声、皆で見上げたあの空の蒼さえ

成り立たなかったものを

 


捨てるなら、女の生き方ではなく

暮らすなら、勝ち負けではなく

腐葉土のあるなしに関わらず

自身も腐葉土にいつかなる日まで

 


普段着のごとく書けよ

   流れるごとく書けよ

 

まるでみどりの房のなす樹々が

秋にたくさんの葉をふらすやうに

とどめなくふってその根を埋めるやうに

たくさんの可能がその下に眠るやうに。

 


何年も何年も

 


生きてる限りは

書いていきたい。

わたしが私に成るように

私がわたしに成るように

父と、「星の王子さま」

星の王子さま
サン・テグジュペリ
内藤濯
岩波書店

を無性に読みたくなって、この度、読み返してみた。

想い出が、ページを捲るごとに蘇ってきた。

 

ぞうを飲みこんだうわばみの絵を帽子だと思うくらいには大人で、何が書いてあるのかはさっぱりわからないくらいの子供だった頃、父の寝室にある本棚で出逢った本だった。


読んだ後、父に、「星の王子さまが読めたのか」と驚かれ、難しい言葉などひとつもないのに読めるに決まってるじゃんと言いのけた私をみて父は「そうか、そうか」と嬉しそうに笑っていた。

ちっとも読めていなかったのは、バレバレだったと思う。


当時は、うわばみの絵だとわからないのが悔しくて私はすでに子供じゃないんだと思ったり、着てる服とかで品定めをする大人じゃないことに安心したりして、この本は、ほんとうの子供つまり純粋な心を見極めるために書かれている気がしていた。
はだかの王様を見て「はだかだ!」と言える人になるよう、父にも求められているような気がして、とても座り心地が悪くなったっけ。


そのくせ「好きじゃない、わからない」と誰にも素直に言えない、ひとりぽっちの私だった。
「難船したあげく、いかだに乗って、大洋のまん中をただよっている人より、もっともっとひとりぽっち」だったサン・テグジュペリよりも、ひとりぽっちだったに違いない。


ご飯を食べさせるだけじゃなく愛情も行き渡っているかを気にかけてくれる親がいて、どちらがより優れているかを競える兄もいて、そんなんじゃダメだと多くの方法で教えてくれようとする先生もクラスメートもいて、暇な時だけ構ってくれる友達も幾人かいて、誰一人として私をひとりぽっちになどさせるつもりのない人々に囲まれたあげく、繋がり方のわからないひとりぽっちは、広大な宇宙に放り出されるよりもひとりぽっちに違いないと思う。


手を伸ばせばそこに人はいるのにひとりぽっちだったのだから。


「面白かった。すごく好き。うわばみの絵も、私はわかったよ」と嘘を言って誤魔化してわかったふりをする、ほんとうに欲しいものが何かも見えない、作中に出てくるつまらなくて面白くなくてそこらじゅうに蔓延っているように描かれた大人と変わらない、子供だった。


それでも、ずっと心に残っていた。
何が書いてあるのかさっぱりわからなかったのに、何か大切な、それも美しいものが書いてあることは当時の私にもわかったのだ。
特に、バラの話とキツネの話は好きだった。
何が、なんて説明できなくても心に残っていたのは、当時の私を戸惑わせたからだと思う。


読み返してみて驚いた。

だって、今の私が身につけた、人との繋がり方がそっと書いてあるんだもの。

きっと奥底にあり続けたこの本が、私に呼びかけていたのかもしれないと思った。

それは父の呼びかけであったかもしれないと、思った。


それだけじゃない。
この本は、童話だけども子供に向けて書かれたのではなく、かつて子供だった人へ向けて書かれたものだったことで、さっぱりわからなかった事柄や文脈や示唆されていることが様々に読みとれるようになっていた。
そうしてやっと、私は今、「かつて子供だった」ことを思い出せた次第だ。

子供だった人が大人になって、「かつて子供だった」ことを思い出せると読みとれる本だから、大人にもなっていなかった ただの子供の私には読めないところがたくさんあって当然だった。

 

父が「そうか、そうか」と笑っていたのは、自分の深く感銘を受けた本を、娘の私が手に取ったという以外には全く意のないところであったに違いない。

言葉にできない想いはたくさんたくさんあったのだと思う。けれど自分の「想い」は口ではなく行動で示すような人だった。

だからなおのこと、本を通して、伝わる何かに嬉しかったのかもしれない。

正しく、純粋でいて欲しいと強く願っていたのはわかっていた。父の想いを、わかっているつもりだった。

読み直すまでは。

この本が私にとって特別になるのは、父の寝室の書棚に秘められた本だったからだ。
父がこの本を読んで何を思ったのかはついに話せず終いだったけれども、父にとって、私の笑顔を見ることは、文中にある「砂漠の中で泉の水を見つけるのと同じだった」のだと、この度やっと、本を通して父から打ち明けられたような気がする。

そういえば、父は私が不機嫌な顔をしているといつも言っていたっけ。

「笑顔がいちばん可愛いのに」って。

私が、怖がっているときも、悲しみでいっぱいのときも、苦しさで歩みを止めてしまいそうなときも、大丈夫だよとふざけてみたり、抱っこしておんぶしてあやしてくれて、拳骨ひとつと少ない言葉で叱って励ましてくれた。

それでも私が笑顔をみせないと、傍で困ったようにして、よくそう言っていた。


おかげで座り心地が悪くなることはなくなったけれど、かわりにすっかり寂しくなった。
寂しくなると、王子さまは入り日を見たくなると言っていた。夜になったら星を眺めておくれよと、お願いされたっけ。

キツネは、何かが特別になるのはそれでひまつぶししたからだと教えてくれた。


真昼間の明るい空に、入り日を待ちながら満天の星を眺める。


「砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているから」

という王子さまの声がして、ラピュタの「君をのせて」が頭に流れた。
「あの地平線 輝くのは あのどれかひとつに 君がいるから」


世界がいつでもどこでもたいていはとても美しく見えるのは、きっと、井戸もバラもひつじも王子さまも、飛行機で探索に出たまま戻らなかったサン・テグジュペリもこの物語を贈られたレオン・ウェルトも、どこかに隠されているからかもしれない。

私の父も。

たくさんのものを美しく見られるように、私の人生に隠していったのだ。


だから私も、私にとって、父の笑い顔はたくさんあるどれかひとつの特別な星であり、5億の鈴の音であり、金色の麦なのだと、遅ればせながら伝えたいと思った。

 

だからこれは、父への手紙です。

 

代わりに読んで下さったみなさま、ありがとうございました。

そういえば、サン・テグジュペリは、この本の最後で、星の王子さまが戻ってきたのがわかったら、手紙を書いてくださいとお願いしていました。

サン・テグジュペリにとっては、星の王子さまはレオン・ウェルトだったんだろうという気がします。

そうして私にとっての星の王子さまは、父だったんだろうと思うのです。

 

「おはなし ききます」

 

 やぎ先生は、ずっと、大きな森の大きな病院でとても立派な先生として暮らしてきました。
 けれど、年をとっても立派でい続けるのは骨が折れるのです。それに、若者達にも立派に成ってもらいたかったので、思いきって、立派なことは全部ゆずることにしました。
 そして、やぎ先生は、子供の頃に過ごした小森のどうぶつ村へ引っ越すことに決めました。

 

 小森のどうぶつ村では、大変に立派な先生がやってくると、うわさで持ち切りでした。
 りすのお母さんは、
 ( 子供が病気になったときも、これで安心して診てもらえるわ )
と思いましたし、ワニのおばあさんは、
 ( 歯が痛くなったら診てもらおう )
と思いました。

 食いしん坊のうさぎ達は、
 ( お腹を壊しても、もう大丈夫 )
と、柔らかいクローバーもタンポポの硬い葉もなんでも食べられると喜びました。
 小森に住むどうぶつ達は、やぎ先生がくるのをそれは心待ちにしていました。

 

 いよいよ、やぎ先生がやってきました。
 そして、やぎ先生の住む家の前に、こんな看板が出されました。
 「 心の診療所 」 ☏△△△-〇〇☆☆
   当院は予約制です
   まずはお電話ください
  診察日
   月〜金  10時~13時  15時〜19時
   土曜日  10時~14時
  休診日
   日曜日・祝日

 

 小森のどうぶつ達は、頭をちょっとかしげました。
 そうしてさっそくお腹を壊したうさぎのクロは、やぎ先生に診てもらうついでに聞いてみようと思いました。
 けれど、聞きたいことを聞く前に、電話を切られてしまいました。
 やぎ先生のいうには、
 「 それはここでは診られません! 」
でした。
 小森のどうぶつ達は、うさぎのクロからそれを聞くと、ますます頭をかしげました。
 ( やぎ先生は、何を診てくれる先生なのかしら )

 

 やぎ先生も、すっかり参っていました。
 予約制だと書いてあるのに、ワニのおばあさんは突然訪ねてきて、
 「 歯が痒い! 」
と、喚き立てるので、
 「 ここでは歯は診られません! 」
と理解してもらうのに、こちらも喚かなければなりませんでした。
 りすのお母さんは、電話口で、
 「 予約制だと聞いたんですけど、子供が熱を出したのですぐ診てもらいたいんです。」
と、とても切羽詰まった声で訴えるので、やぎ先生は心配になって思わず病状を聞いてしまいました。それから、
 「 子供をちゃんと診ることのできる病院へ電話をしてみてください。」
と、役に立てないと大変申し訳なさそうに断るしかありませんでした。
 やぎ先生は、これまでの自分はそれなりに立派な先生としてやってきたと思っていました。けれども、小森のどうぶつ村へ来てからは、先生として頼られるにはあまりにも役立たずだと思わざるを得ませんでした。
 そして、看板の隣に、こんな張り紙が出されました。
 「 心の病気しか診られません 」

 

 そうして、小森のどうぶつ達は、さらに頭をかしげました。
 ( 心の病気ってなにかしら? )
 りすのお母さんは、りすのお父さんに聞いてみました。
 「 こころって、なにかしらね? 」
 お父さんはどんぐりのパイをもぐもぐさせながら、
 「 新種のどんぐりかな。」
と言いました。
 食いしん坊のうさぎ達は、
 「 病気っていうからには、食べられない葉っぱのことだろう。」
と、こころの葉っぱがどんな味なのかあれこれ言い合いっこをしていました。
 チドリの歯医者に通いながら、ワニのおばあさんが、
 「 心の病気って、痛いのかねぇ、痒いのかねぇ。」
と言えば、チドリ先生はちょっとは先生らしく、
 「 心は歯のように悪いところが見えませんからね。」
と言いました。

 

 こうして、小森のどうぶつ達は、すっかり困ってしまいました。
 ほんとうは、困ることなどちっともないのです。だって、やぎ先生の来る前は、やぎ先生がいないように暮らしてこれたのですから。
 けれども、せっかく立派な先生がいらしてくれたのに、なにがどう立派なのかがちっとも分からなくて、すっかり困ってしまったのでした。
 なぜって、このままやぎ先生がどう立派な先生なのか分からないままでは、やぎ先生が大きな病院のある大きな森へ戻ってしまうのではないかという心配があったからでした。
 やぎ先生は、心の病気しか診られませんと言いながら、けっこう親切に相談に乗ってくれました。
 うさぎのクロは、お腹が痛いと電話して診られないと断られたものの、なぜお腹が痛くなったのかをあんなに良く聞いてくれた先生は初めてでした。その後、やぎ先生のところへ治ったお礼に伺うと、暴飲暴食をしなくてよくなるアドバイスをいくつか教えて貰いました。
 ワニのおばあさんだって、今、チドリ先生の歯医者に通うようになったのはやぎ先生が歯医者は怖くないことや、通わない方が怖くなることなどを懇切丁寧に辛抱強く諭してくれたからです。
 りすのお母さんは、子供が熱を出してパニックになりかけていたところ、やぎ先生が「 大丈夫、大丈夫 」と話を聞いてくれたことで、何をすればいいのか明確になりとても安心することができたのでした。
 そうして、すっかり、小森のどうぶつ達はやぎ先生のことが大好きになっていったのです。
 だから、やぎ先生がどう立派な先生なのかを知ることは、とても大事なことで、分からないことは大変に困ったことなのでした。

 

 そんなある日のこと。
 やぎ先生は、すっかり自信をなくして、とぼとぼと川辺りを歩いていました。
 歩きながら、自分の心がぽつり、ぽつりと語るのを聞いていました。
 ( 立派なことは全部やめにしたかったはずなのに、この村では役に立てることがない。それがこんなにも堪えるとはなぁ。
 それはつまり、この村には心の病気を抱えている人がいないということだ。素晴らしいことじゃないか。
 自分みたいな職業が必要とされない、それこそ、実は自分がずっと追い求めてきたものじゃないのか。
 なのに、こんなにも寂しく思うなんてなぁ )
 川のせせらぎがシャラシャラと音を立て、水面は日に照らされてキラキラ眩しいほどに輝いていました。岸辺には、黄水仙が見事に咲き誇っています。
 ( あぁ、こんなにも、全ては誇らしげにいるのに、僕ときたら…。
 結局、ちやほやして欲しかっただけなのか……… )
 そう、やぎ先生が立ち尽くしていたときでした。

 「 こんにちは。」
と、黄色い帽子をかぶった小りすの坊やが、丁寧な挨拶をして後ろを通り過ぎていきました。
 やぎ先生は、気持ちがあまりにも沈んでいたので、とっさに声が出ませんでした。そこで、通り過ぎてから小さく会釈を返すのが精一杯でした。
 そんな自分にますます嫌気がさそうとしたところへ、
 「 やぎ先生、どうしたの? 」
と、今度は左隣から可愛らしい声がのぞき込むようにして聞こえました。
 目をやると、通り過ぎたはずの小りすの坊やが、大きな瞳で心配そうにこちらを見上げていました。
 ( こんな小さな子供に心配されてるようでは、いかんいかん )
と、優しい笑顔をつくると、
 「 坊や、心配してくれてありがとう。」
と、目の高さを合わせるようにして腰を低めました。
 すると小りすの坊やは、
 「 おはなし、ききますよ。」
と、にっこり笑って言ったのです。
 やぎ先生は、面食らってしまいました。目を二回パチパチすると、
 「 やっぱり、おばあちゃんのようにはなれないや。」
と、坊やの方がさっと目線を外して、照れたような残念がるような仕草でうつ向いてしまいました。
 やぎ先生は、はっとして、坊やの両手を握りながら言いました。
 「 いやいや。うん。ぜひ、きいてもらおうか。」
 そうして、そこへ、ストンと腰を降ろしました。
 小りすの坊やは、ぱっと嬉しそうに顔を輝かせると、
 「良かった! 」
と言いながら、りすのおばあちゃんがいつもそうやって、寂しそうな顔をしていたり元気がないときには話を聞いてくれたこと、最後には飴をくれたことを話してくれました。
 「 はい! 」
 小りすの坊やが差し出した小さな手には、黄色の飴がのっていました。
 やぎ先生はありがたく受け取ると、口の中にさっそく放り込みました。甘くて酸っぱい味が口に広がると、心なしか元気になった気がするのは不思議でした。
 「 あのね、元気が足りないときは黄色い飴で、嬉しさが足りないときは赤い飴なんだよ。泣きたいのに泣けないときは青い飴をくれるんだ。それでね、怒らなきゃいけないのに勇気が出ないときは白いハッカ飴だったんだ。」
と、小りすの坊やはとても懐かしそうに話してくれました。
 やぎ先生が、
 「 素敵なおばあ様だなぁ。」
というと、小りすの坊やは寂しそうに、
 「 でも、もういないんだ。」
と言いました。
 近くの草むらからカエルが飛んだのか、ポチャンと水が鳴りました。ゆらりとひとつ、黄水仙が揺れたような気がしました。
 やぎ先生は、小りすの坊やの肩へ手を置いて、
 「 おはなしを聞いてくれてありがとう。おかげで本当に元気になった。黄色い飴が効いたかな? 」
というと、小さくウィンクしました。
 それを聞いて、坊やはほんとうに嬉しそうに笑いました。
 そのとき、さわさわと風が吹いて、やぎ先生はとても大切なことを思い出せた気がしました。
 それから、
 「 お礼に、いつでも遊びにおいで。こんどは僕がおはなしをききます。」
と、にっこりしました。
 小りすの坊やは嬉しかったのか、コロンと一回転すると、
 「 うん! 先生、ありがとう。」
と、小さなしっぽをフサフサさせながら帰っていきました。
 やぎ先生は、その後ろ姿を見送ると、ほんとうに心から活力が湧いてくるような気持ちになって自分も帰っていきました。
 夕焼けの始まりが静かに見守るようでした。

 

 それから、やぎ先生の診療所の張り紙はこうなりました。
 「 おはなし ききます
    どなたでも
    いつでも
    お気軽に どうぞ 」

 

 小森のどうぶつ達は、いまだに、やぎ先生がどう偉いのかわからないままです。こころがなにかも、心の病気がどういうものかも知らないでいます。
 けれどどうやら、やぎ先生が、ここへどっかり腰を落ち着けそうだということはわかりました。なぜって、今は、診療所へ誰でも気兼ねなく訪ねていけるようになったからです。
 困ったことはすっかりなくなって、安心してやぎ先生へ相談に行けるようになりました。
 そうして、やぎ先生の処方してくれる飴玉は、たいそう小森のどうぶつ達に好評でした。

 

カランカラン。
ほら、今日も誰かが来たみたいです。

 

 

 「 元気が足りないときは黄色い飴を
    嬉しさが足りないときは赤い飴を
    泣きたいのに泣けないときは青い飴を
    勇気の足りないときは白いハッカ飴を
   あなたもひとつ、いかがですか 」

 

「突然、始まる物語」



突然、始まった物語は
突然、終わりを告げ

遺されたもの達が
また新たな旅を始める

ひとつづきの命の旅を


第一章

【創世記第三章】

 ( なんでも入る空っぽに穴が開いてるのかな? それって、ワクワクする! )
 そう思ったらいても立ってもいられなくなって、
 「穴を探しに行こうよ! 」
と、キュティは嫌がるヤーロを連れ出した。

 ヤーロとキュティは気がついたらここにいて、なんにもない世界でふわふわと浮いていた。ふたりはいつもワクワクすることを探しては遊ぶのが好きだった。
 ある時、光が射してきて、あらゆるところがよくみえるようになった。ふたりのワクワク探しも、より忙しくなった。

 「ね、ワクワクするでしょ? 」
 キュティは振り仰いでヤーロをみた。ヤーロは眉をしかめたまま、少し唇を尖らせてこう言った。
 「ほんとに穴なんか開いてんのか? 」
 「だって雫を追いかけて底の方までいったら、見失っちゃったんだもん」
 キュティはそういうと、鼻を膨らませた。
 ヤーロは首をかしげた。
 「それって、開いてるとは言わないぞ」
 「だけどなくなるってことはないでしょ」
 「ほんとに底なんかあったのか? 」
と、どこまでも信じられない様子のヤーロに、キュティは興奮した様子で一気にまくしたてた。
 「それがほんとにあったの! 触ったわけじゃないけど、突然目の前に色が現れてびっくりしたんだから。一面何かに覆われてたのよ。雫は吸い込まれるようにその中へ消えちゃったの。でも、消えちゃうって変でしょ? だから」
 「穴が開いてると思ったのか? 」
 「そう! いつかヤーロが話してくれたけど、ここは本当に大きな入れ物なのかもしれないね。底があったんだから。そして、その入れ物に穴が開いてるって考えたらもう……! 」
と、キュティは目を輝かせて両手を握りしめた。
 ヤーロはやれやれと首を振った。

 光が射してからというもの、たまに上から何かが落ちてきて、どこかに消えていった。
 はじめて落ちてくるものを見た時は、ふたりとも驚きすぎてただ見入るだけだった。その時ヤーロが言った。
 「ここはなんでも入る空っぽの入れ物みたいだな」
 「空っぽ? 」
 キュティは首をかしげた。
 「なんにもないから、なんでも入るんだ」
 「そんなのおかしいよ。なんにもなかったら、ぼく達もいないことになるでしょ」
 キュティは笑いながら言い返した。するとヤーロはしたり顔でこう言った。
 「この入れ物は大きいからさ、小さいおいら達はいないも同じなんだ」
 それを聞いて、キュティは、
 「気づかれないのはさみしいな」
と少しうつむきながら言った。
 ヤーロは、
 「おいらは、いつもキュティがどこにいるかわかるぞ」
と自分の胸を叩いた。
 それを見てキュティは、
 「うん。ぼくもヤーロがどこにいても気づくよ」
と、柔らかく笑った。

 落ちてくるものは日増しに多くなっていった。 何度も見送ったあと、キュティが不思議そうに言った。
 「どこにいくのかな?」
 「確かめてみるか?」
とヤーロがこたえ、それからふたりの、落ちてきたものを追いかける遊びがはじまった。
 いつも途中で飽きてしまうか、やめてはまた違うものを追いかけはじめたり、そのうちどちらが速いか競争したり、面白いものを見つけたかの言いあいになったりするものだった。
 この日、
 「やーめた」
と言ったヤーロをキュティは物足りなさそうに見て、小さく唇を噛んだと思うとふいとそのまま追いかけて行ってしまった。
 キュティは、ヤーロが言った入れ物の話をいつか確認したいとずっと思っていた。入れ物と言うからには、果てがあるはずだ。それに、この日みつけた雫は、これまでに落ちてきた無数の雫より綺麗にみえたから、どこまでも追いかけていきたい衝動にかられた。
 望むことが違ったことははじめてだった。ヤーロとキュティはこれまではなにをするのも一緒だった。なのに、この日のキュティはヤーロを置き去りにして行ってしまった。
 ヤーロはそれが面白くなくて、猛烈に腹を立てた。キュティを追いかけるのも癪で、虚空をめちゃくちゃに飛び回った。そのうち疲れて眠ってしまった。そうして眠っているところをキュティに起こされた。
 ヤーロはまたひとりになるのが嫌で、キュティにしぶしぶ付き合っているのだった。

 底は本当にあった。
 キュティの言ったように突然一面が色づいた。

 ヤーロは急ブレーキをかけてその場に留まるとあんぐりと口を開けた。キュティはそんなヤーロに得意満面の顔をしてみせた。
 それからふたりは慎重にゆっくりとその色がついたものに近寄っていった。一色だと思った色も、近づくと様々あることに気がついた。
 唐突に何かに触れた。そしてフサフサした感触のあと硬かった。それ以上は押しても先には進めなさそうだった。硬いというはじめての感触にふたりは驚いた。
 キュティははしゃぎまわり、ヤーロは呆然と眺めていた。
 フサフサしたものは一面に広がっていて、なんだかブンブン、ピョンピョン、ヒラヒラと動き回っているものもたくさんあった。
 自分達の他にもこんなにたくさんのものがあるなんて、空っぽだと思っていたからなおさら衝撃だった。
 キュティは、
 「ヤーロが言ったことは本当だったね。入れ物が大きすぎて、小さいぼくたちが気がつけないだけって」
と言った。
 ヤーロは、
 「おどろいた」
と言った後、キュティの手を握ると、
 「でも、おいら達は気がついた」
 「そうね! 」
 そう言うと、ふたりは並んでその辺りをあてもなく漂った。


 しばらくすると、フサフサしたものと同じ色をしたくねくねしたものを見つけた。くねくねしたものは底をずるずると這っていた。なんて奇妙なものだろうとふたりが眺めていると、くねくねしたものがつと上を見た。
 くねくねしたものはふたりを見つけると驚いたようにピタリと止まった。それからもの珍しそうに話しかけてきた。
 「何してる? 」
 まずふたりは、話しかけられたことにびっくりした。ふたりと同じように動くものはたくさんいるようだったけれど、ふたりに気を止めたものはいなかった。
 だから警戒したヤーロは眉を顰めた。けれど、好奇心が先にたったキュティは屈託なく答えた。
 「穴を探してるの」
 「穴? 」
 「うん。君、わかるのね。その、その、わたし達が。驚いたよ! 」
 「穴を探してどうするんだ? 」
 くねくねしたものは、キュティの言葉には答えずに、さらに尋ねた。
 そうしてくねくねしたものを覆っている表面がぬらりと揺らいだ。気持ち悪さを覚えたヤーロはそっとキュティを引っ張り、
 「行くぞ」
と言うと、さっさと行こうとした。つられてキュティもついていき、つられてくねくねしたものもついてきた。なんとなく、不機嫌なヤーロにつられて空気も重たくなった。
 けれど、くねくねしたものはかまわずに、
 「なぁ、穴なんか探してどうする? 」
と話しかけてきた。
 ヤーロは答えなかった。
 けれどキュティは、
 「落ちてきた雫を追いかけてきたの。そしたら、どこにも見あたらないから、ひょっとしたらね、どっかに開いてるんじゃないかと思ったの」
と丁寧に答えた。くねくねしたものは、
 「それで? 」
と、先を促した。促されたキュティは、
 「それで? 」
と、同じ言葉をオウム返しにした。くねくねしたものは体をくねらせて、
 「だから? 」
と、聞きなおした。聞きなおされても、キュティはこれ以上言うことがなかったから、
 「それだけよ?」
と、くねくねしたものを見た。
 くねくねしたものは、苛立たったように尻尾を二回、底に打ちつけると、
 「そうじゃなくて、穴を見つけてどうするんだ?」
と聞いた。
 聞かれたキュティは、
 「どうするって言われても……」
と言ったきり戸惑ったようにそこに留まった。
 そんなキュティをみて、ヤーロもしかたなく先を行くのを諦めた。
 くねくねしたものは、キュティにまとわりつくようにスルスルと足先に触れるところまで這い寄るとさらに聞いた。
 「何が知りたいんだ? 」
くねくねしたものの表面がまた濃くなったようにみえたヤーロは、なぜか落ち着かない気持ちになり、キュティの瞳を覗くようにして言った。
 「ワクワクするからだろ? 」
 キュティは、そう言ったヤーロの目を捉え、
 「うん……そう! 」
と力強く頷くと、くねくねしたものに向かって、
 「ワクワクするでしょ? 」
と、言った。
 くねくねしたものはじっとふたりをみた。そうして今度はヤーロに聞いた。
 「お前もか? 」
 ヤーロはキュティの手を握りながら、くねくねしたものに向かって言った。
 「そうだぞ」
 くねくねしたものは、そんなふたりを交互に見てから、
 「ふぅん」
と鼻を鳴らすと、あさっての方向を尻尾で指し示し、
 「案内してやろうか? 」
と聞いた。
くねくねしたものの表面がまた妖しく光ったようにヤーロは思った。

 キュティはすっかり混乱していた。
 ( どうする? どうするなんて考えたことないもの。何を知りたい? ぼくは……わからない。わからない? わからないってなんだろう。わからないことなんてなかったもの。ヤーロはわかってくれたから。なんだろう。すごくドキドキする )
 キュティは気がついていなかったが、それは未知に対する恐怖だった。
 ヤーロもまた戸惑っていた。
 ( キュティは一体どうしちまったんだ? 何を考え込んでるんだ? こんなこと今までなかったぞ…… )
 ヤーロは、不安に気がついてほしくて、キュティの手をより一層強く握った。
 くねくねしたものは、そんなふたりにおかまいなしに、ゆらゆらとのんびり先を進んでいく。

 たまに振り返ってはふたりを確認して、尻尾をふりふりする。
 ヤーロはその揺れる尻尾を睨みながら思った。
 ( あいつが現れてからだ )
 そしてまたキュティの手をギュッと握った。
 キュティはそれでもただ黙ったままだった。そしておもむろに、
 「わからなくなっちゃったな」
と誰にともなくつぶやいた。
 「何が? 」
 ヤーロとくねくねしたものは同時に聞いた。
 キュティはくねくねしたものに向かって話し出した。
 「ねぇ、くねくねは何を知っているの? 」
 くねくねと呼ばれたそれは居心地悪そうに赤い舌を出して答えた。
 「おそらくなんでも、そしてなんにも」
 それを聞いて、キュティはさらに問いかけた。
 「ぼくは、わかってると思っていたんだけど今はわからなくなっちゃったの。ねぇ、くねくね、お前は何を知ってるの? 」
 くねくねしたものは、とぐろを巻いて、じっとキュティを眺めながら答えた。
 「俺は、俺の知っていることを知っているだけだ。お前は何を知っている? 」
 「ぼくは……、何を知ってるのかな」
とキュティは言葉をつまらせた。
 ヤーロはキュティの戸惑いを感じていたから、助けるつもりで横から声をかけた。
 「キュティはおいらを知ってるだろ? それで充分じゃないか。おいらもキュティを知ってるぞ。おいらはそれで充分だ」
 キュティは、まじまじとヤーロを見た。なんで充分なんて言えるんだろうと、それが驚きだった。ヤーロは何を知っているのだろう、そう思った。だから、
 「本当に、知っているのかな? ヤーロ」
と口にしたきり、黙り込んでしまった。
 ヤーロは思わず手を離した。そして訝しそうにキュティを眺めた。ヤーロはますますキュティがわからなくなった。
 くねくねしたものは、そんなふたりを交互にみると、チロチロ舌を出しながら言葉を選び選び言った。
 「なぁ、穴を見つけても、なんにもしないって約束するか? 」
 キュティは、
 「どういう意味なの? 」
とくねくねしたものをみた。
 くねくねしたものは決まり悪そうに、頭をひょこひょこさせながら、
 「こっちだ」
と言った。

 方向が変わったことに、キュティもヤーロも気がついたけどなんにも言わなかった。
 ただ、くねくねは饒舌になって、
 「あれ、知ってるか? 」
と言っては、道行く先々で出くわすものの名をひとつづつ教えてくれた。
 キュティは、
 「なんにでも名がついてるんだね! 」
と、教えられたものが鮮やかに踊りだす様を、いちいち感心しては眺めた。
 実際にそれは、驚くばかりの変わりようだった。底だと思っていたところは、大地と名がついたとたんに熱をもったように感じた。フサフサと一面に広がったものは、草と名がついただけで生き生きとしてみえた。草にはたまに花と名のついたものがとりどりに色づき、名を知っただけで目にとびこんでくるように映った。色にもそれぞれの名があった。赤、青、黄、緑。草とよばれたフサフサもくねくねも同じ緑色だけど、色の濃さが違ってみえた。ブンブン、ピョンピョン、ヒラヒラとしたもの達は虫とよばれ、虫のひとつひとつにも名があるのではと思うくらい、それぞれの違いが目についた。
 キュティは、見えていた世界が名のつくだけで様変わりするのが面白くて、
 「あれは何?」
 「これは何?」
と、違いを見つけてはくねくねを質問攻めにした。
 ところが、ヤーロにしてみたら、フサフサはフサフサのままで、ブンブン、ピョンピョン、ヒラヒラも同じにしか見えなかった。だから、ひとりはしゃぐキュティに、
 「ね? なんだか違って見えるね! 」
と言われても、キュティへの訝しさは増す一方だった。
 ヤーロには、くねくねしたものが口を開く度に、キュティがどんどんわからなくなっていくように思えた。
 一方、キュティは、ヤーロに気をとめている暇がなかった。空っぽだと思っていた世界がたくさんのものに溢れて、自分も一緒に満ちていくようだった。嬉しさでいっぱいになり、この世界をもっと知りたい欲望にとらわれていた。
 キュティはふと思いついて、
 「ひょっとして、くねくねにも名があるの?」
と聞いてみた。
 くねくねは少し考えながら、
 「あぁ。蛇の一族ではある。でも、くねくねでいい」
と言った。
 くねくねにも蛇と名がついていた。すると不思議なことに、キュティは他にもたくさんの蛇がいるんだと教わらずしてわかった。同時に、くねくねを蛇と思うと、ここにいるのではなくどこか遠くにいる感じがした。だからキュティもくねくねでいいと思った。
 キュティも名がほしくなって、
 「ぼくにも名がある? 」
と聞いたら、それまで黙っていたヤーロが、
 「キュティはキュティだろ」
と、聞こえるか聞こえないかくらいの低い声でつぶやいた。
 「そうじゃなくてね、別の……なんて言ったらいいのかな」
 キュティはもどかしかった。こんなことは今まではなかった。キュティの言いたいことをヤーロはなんでもわかってくれたし、伝わらなかったことがなかった。伝わらないことがわかると、言葉がないことに気がついた。
 助け舟のようにくねくねが補ってくれた。
 「同じ仲間を表す名のことだ」
 キュティは、
 「そう、それよ! 」
と、嬉しそうに、
 「どうしたら名がつくのかしら? 」
とくねくねに訊ねた。思いもよらない質問だったのか、くねくねはゆっくりと答えた。
 「そう、もっと仲間が増えれば……だろうか」
 「増える? 」
 そう首を傾げたキュティを見て、くねくねは、
 「おまえ達はどこからきた? 」
と逆に聞いた。キュティとヤーロは思わず互いを見合わせた。
 そうしてヤーロが答えた。
 「気がついたらここにいたさ」
 「俺達も、気がついたらここにいた。物語はいつも突然始まるもんだ。けれど聞きたいのはそれじゃない。意識が目覚めたところはどこかだ」
 それにはキュティが答えた。
 「私たちはずっと上の方で目覚めたの。気がついたらヤーロがいて、私はすぐにヤーロだってわかったのよ」
と嬉しそうにヤーロを見て微笑んだ。
 それを聞いて、くねくねは考え込むように言った。
 「お前達は何者なんだ? 」
 そう言われて、キュティはビリビリと何かが身体を走ったように思った。
 「何者? 」
 そして、目を輝かせながら、
 「そんなこと考えたこともなかった」
と言った。
 呆然としながらも目に光を宿したキュティが、ヤーロにはくねくねしたものの表面がぬらぬら光るのと同じにみえた。そうしてこれまでの不安がはちきれて、
 「もうたくさんだ! 」
と叫んだ。
 「もう! たくさんだ! こんな得体のしれない奴の話なんか聞くんじゃないぞ! たぶらかして、おいらたちを惑わそうとする、こんな、こんな、くねくね野郎! どこかへ行ってしまえ!! 」
 そう言うと、くねくねしたものに向かって拳を振り上げた。
 その剣幕に驚いたのか、くねくねは一目散にどこかへ姿を消した。
 キュティは、
 「どうして!? 」
と、言葉を失ったようにあとは怒りで震えた。
 ヤーロはくねくねしたものに怒りを向けたけれど、キュティはヤーロに怒りを向けた。
 ヤーロは、そんなキュティにも腹を立てた。
 「キュティもキュティだぞ! あんな奴の話をまともに聞くなんて。気がついてないのか? あいつが現れてから、キュティはなんだかおかしいぞ! 」
 「ヤーロこそおかしいよ。くねくねは親切に色々と教えてくれたのに」
 ヤーロは、おかしいと言われてますます逆上した。
 「おかしい? おかしいだって!? あいつの言うことを真に受けて嬉しそうにしてたキュティの方がおかしいだろ! 」
 そう言われて、キュティはなんだか悲しくなった。
 「どうしてそんなこと言うの? 」
と涙目のキュティをみながら、ヤーロはなんとかわかってもらおうと必死だった。
 「あいつがどんな奴かもわからないんだぞ。ぬめぬめしていて気持ち悪いし、何を考えてるのかちっともわからない奴の言うことなんかを信じるなんて」
 キュティはヤーロがそんな風に感じていたなんて思いもよらなかったから驚いてしまった。
 「気持ち悪い? 」
 「あぁ、そうさ。最初から怪しかったじゃないか」
 「どこが? 」
 「どこって……、あの表面がギラギラ光るところなんか。それに、ざわざわするんだよ。あいつと話すと」
 「ざわざわ? ドキドキじゃなくて? 」
 ヤーロはそう言われてショックを受けた。
 今度はキュティがわかってもらおうと必死になった。
 「ぼくは、ドキドキしたんだよ。そして知りたいと思った。くねくねの知っていることを、知りたいと思ったの」
 ヤーロは、同じだと思っていたキュティがなんだか別になってしまったような気がした。なんでわかってくれないんだという気持ちが溢れでて、
 「騙されてるんだ」
と言った。
 キュティもショックだった。ヤーロも自分と同じように感じているとばかり思っていたから、
 「ヤーロは知りたくないの? 」
と、恐る恐る聞いた。
 「知りたくない。キュティを知っていれば充分だ」
 そう答えると、ヤーロも恐る恐るキュティに聞いた。
 「キュティだってそうだろう? 」
 キュティは、言葉に詰まってしまった。そうして今はっきりと、ヤーロが何も知ろうとしていないことがわかって悲しかった。だから、
 「本当に、知っているのかな。ぼくのことを」
と答えるのが精一杯だった。
 ヤーロは、どうしていいのかわからなくなって、
 「キュティなんか大嫌いだ! 」
と、そのまま虚空へ飛び出して行ってしまった。

 上へ上へとどこまでも進んで行きながら、ヤーロは腹を立てていた。
 最初は、あの得体のしれないくねくね野郎がよくわからないことをキュティに吹き込んで、たぶらかしたことに怒りを覚えた。それから、どんどん何を考えているのかわからなくなっていったキュティに苛立ち、わかろうとしないキュティに悶え、ついには悲しくなった。怒っているのか悲しいのか、悲しいのは自分になのかキュティになのか、わからなくなってしまった。
気がつくと、光のない空間にいた。
 ヤーロは、入れ物を飛び出してしまったと思った。
 すると、入れ物の穴は上にあり、穴が上に開いていたと思うと、自分が落ちているのか上に進んでいるのかもわからなくなった。
 ここは、それこそ何もない空っぽだった。空っぽだと思っていた入れ物が、実は沢山のもので溢れていて、本当の空っぽはここだと思った。 空っぽの空間で、自分も空っぽになってしまったように感じたヤーロは、ただ漂うだけとなった。

 「キュティなんか大嫌いだ!」
 そう言われて置き去りにされたキュティは、力なくその場に蹲っていた。
 自分を守るようにさらに両腕に力を加えて硬く目を瞑ると、
 ( あんなヤーロなんか! ぼくも嫌いだもん )
と思った。
 しばらくすると、何かが周りでうろうろとしている気配を感じて、ヤーロが戻ってきたのかと思った。嬉しくなったけれど、決まりが悪い気もして、
 「くねくねに謝るまで許さないんだから! 」
と、顔をあげた。目があったのは心配そうにのぞき込んだ当のくねくねだった。
 くねくねは、
 「いや、驚いただけだから、謝る必要はない」
と、逃げ腰になったことをごまかすようにその場に丸くなった。
 キュティは、くねくねが心配して様子をみに戻ってくれたことを感じた。
 「ありがとう」
と口許だけ腕に埋めて小さく言うと、手を伸ばしてくねくねの頭を撫でた。
 ちょっと戸惑ったように頭を引っ込めたくねくねは、そのまま撫でられて、そのうち気持ちよさげに目を細めた。他のものに撫でられる経験は、くねくねにとってはじめてだった。
 それは、キュティにとってもはじめての経験だった。ヤーロ以外のものと魂が同化するような感覚は、寂しさを和らげてくれた。
 どれくらいそうしていただろう。くねくねは満足したとでもいわんばかりに全身で伸びをすると、
 「穴はもうすぐそこだ」
と尻尾をパタパタさせてキュティを促した。
キュティはちょっとためらったけれど、
 ( もうヤーロなんか知らないもん )
と思い直し、
 「うん、行こう!」
と言うと、くねくねについて進み出した。

 くねくねは、一本の大きな木の前で止まった。
そうしてその根元を指して、
 「俺の住処だ」
と緑の顔を赤らめて言った。
 「穴を探してると言われた時、俺の住処に何をするつもりだって疑った。だから騙して、どこか適当なところまで連れて行ってしまおうと思った。でも、お前らはただ知りたいだけだって途中で気がついた。きっとお前のかたわれは俺が騙そうとしたことに勘づいて……。あの時はすでに騙す気も失せていたのだが、いや、これは弁明だ。すまなかった。だからという訳ではないが特別に案内してやる」
 くねくねはそう言うと、木の根元にある穴にするすると入っていった。
 キュティは、
 ( これが探していた穴なの? )
と思い、辺りを見回した。
 木は、それはそれは大きなものだった。枝が虚空のあちこちに張り出して、根元から見上げてもてっぺんが見えないくらいだった。そうして、枝のあちこちに、雫とよく似た形のものをぶら下げていた。
 キュティは思わず声を上げてキラキラと赤黒く光ってみえるそれを指した。
 「ヤーロ、あれ! 」
 声にしてから、
 ( あぁ、ヤーロは一緒じゃなかったんだ )
と、胸がちくんと痛んだ。痛いって思うことがはじめてだったから、驚いてしまって、そうしたらとても息苦しいような気がした。浮かんでいられなくなって膝をつくと、
 「どうした!? 」
とくねくねの慌てる声が遠くで聞こえた。

 くねくねはなかなか後を追って来ないキュティをみに戻ったところだった。苦しそうに胸を抑えてひざまずいているキュティをみて、咄嗟に何が起ったのか判断できなかった。何度も大丈夫かと声をかけ続けたが、キュティは意識が朦朧としているようで、しっかりとした反応は返ってこなかった。
 くねくねは考えあぐねた結果、とりあえず自身の住処となる穴へ、キュティの身を休ませることにした。ところが、なんともふわふわとした実体で、掴まえどころがなかったからとても苦労した。
 さっき撫でられた時はしっかりとした感触があったのに、不思議なことだった。そこで、よくはわからないが、消えかかっているのではないかと思った。
 だから穴の中で、トグロを巻きながら卵を温めるように抱きしめた。優しく優しく、キュティに撫でられた時と同じように。

 ヤーロはただ漂っていた。
 どれくらい過ぎたのかもわからなかった。記憶も曖昧になり、暗闇と同化しているようだった。暗闇が自分だと思い、自分とは誰だろうと微かに思った。
 「何者? 」
と自分の思いに重なるように、誰かの声が響いた。
 とても懐かしい声だった。すると一息にその声の記憶が蘇った。
 「そんなこと考えたこともなかった」
 「ね、ワクワクするでしょ? 」
 「 穴を探しに行こうよ! 」
 「なんにでも名がついてるんだね!」
 「ね? なんだか違って見えるね!」
 「私はすぐにヤーロだってわかったのよ」
 「気がついたらヤーロがいて」
 「気づかれないのはさみしいな」
 「ヤーロがどこにいても気づくよ」
 「本当に、知っているのかな? ヤーロ」
 「本当に知っているのかな? ぼくのことを」
 その問いかけに、ヤーロは答えた。
 「キュティ」
 すると内側から光が溢れて、闇を切り裂き、ヤーロは一筋の雫となった。

 真っ白な世界だった。
 靄のようにどこまでも広がっていけるような気がした。
 けれども、広がっていこうとすると、するするとみえない壁にぶつかるように内側へと戻されるようだった。ぶつかる度に優しい体温が伝わってきて、自分もだんだん温かくなるようだった。同じところをぐるりぐるりと回りながら、知らず知らずに穴を探していた。
 そうしてぼんやりと、前にも同じようなことがあったなと思った。
 遠い遠い微かな記憶の中に、この世に最初に意識を持った時のことが蘇った。
 たったひとつの意識があるだけの孤独の中に、一筋の光が入り、その光によって自らを知ることができた喜びの記憶。あれは、いつの記憶だろうか。夢ともつかない朧気な記憶。そして、その光がわたしをよび、わたしはわたしになったのだった。
 そう思いだした時だった。
 光の雫が切り裂くように入ってきて、その雫に触れた瞬間、
 「キュティ」
とよばれた。
 そのまま光の雫を自分の中にとどめておきたい衝動が起こり、キュティは雫を呼んだ。
 「ヤーロ」
 そう声にすると、キュティは急速にその光の雫にめがけて収縮し、一点となった。

 くねくねは、抱いているキュティの体が急激に熱を持ち出したのを感じていた。卵が孵るように、その内側から何かが爆発したような衝撃を受けた。思わずトグロを緩めて様子を伺おうとした時、眩い光が炸裂した。
 目が眩み、辺りが静寂に包まれた。
 一瞬と永遠がそこに同時に存在している美しいカオスを、くねくねはそのトグロの中に抱いていると感じた。
 それから、そっとその場を離れ、よろよろと穴から出て木の実を採るためにズルズルと大木へよじ登った。なぜかそうしなければならない気がした。
 くねくねは、赤黒い雫形の木の実を採ると、穴へ戻り、カオスの上からその実を恭しく捧げるように割って差し出した。
 その赤黒い実の汁がカオスにかかると、先ほどまでぐるぐると渦巻いていたものがはっきりとした形になって現れた。
 それは、最初、キュティとなった。
 キュティは半分に割られた木の実を食べた。そうして、自分の中からさらに一段と光る雫を取り出すと、もう半分の実の汁をその雫に与えた。
 その雫はヤーロへとなった。
 ヤーロもまた、残った半分の木の実を食べた。
そうしてふたりは手を取り合うと抱きしめあった。キュティはヤーロのすべてを確認するように、ヤーロもキュティのすべてを確認するように。
 互いに互いを知らなかったことを思う度に、恥じらいが生まれるようだった。
 キュティは震える小さい声で、
 「あの時、ヤーロがぼくに触れた時、ぼくはぼくだってわかったの」
と口にした。
 ヤーロも、囁くように掠れた声で、
 「おいらはキュティのことだけは忘れなかった。キュティの声が、おいらをおいらにしたんだ」
と言うと涙を流した。その頬に、キュティは自分の頬を寄せた。ヤーロの涙がキュティの涙のようにこぼれていった。
 「キュティが言った意味がようやくわかった。おいらは、本当になんにも知らなかった」
とヤーロが言えば、キュティは、
 「ぼくも、何が一番大切なのかわかった気がするの」
とヤーロの全てを包み込むように肌をすり寄せた。

 それからふたりは揃って穴の外へ出た。外では、いつの間にか穴を出たくねくねが待っていて、嬉しそうに尻尾を振った。
 キュティは、くねくねの額にキスをした。
 ヤーロは少し嫌な顔をしたけれど、それでも、
 「ごめん」
と手を差し出した。
 くねくねはその甲に、キュティにされたようなキスをした。
 ヤーロは少し驚いたけれど、なんだか嫌な気はしなかった。くねくねの魂がほんの少し、ヤーロに流れ入った気がして、ヤーロは改めてまじまじとくねくねを眺めてみた。くねくねを覆った表面がキラキラと輝いて、美しいなと思った。
 くねくねは、
 「親愛の証だ」
といって、その鱗とよばれる表面を一枚外してふたりに渡した。
 「そういえば、あれはなんていう名を持つの?」
とキュティは思い出したように大木にある赤黒い雫を指さしてくねくねに聞いた。
 くねくねは大木を振り仰ぎながら言った。
 「お前の体を持ち上げたら、実体がないように思えたから、この大地に根ざす木の実を与えてみようと思った。この木は、この大地の全ての命と繋がっている。そして、この木の実は、いちのみとよばれている」
 キュティは、また、全身に何かが走るのを感じた。そしてそれは、ヤーロも同じだった。
 ふたりは、今、やっと、この世界と繋がったことを知った。

 それから、なぜだか空は飛べなくなった。
 ふたりは気にもとめなかったが、ただひとつ残念そうにキュティは、
 「穴をぼくも確認したかったな」
と思い出しては話すことがあった。
 そんな時ヤーロは決まって、
 「またいつか違う方法で行けるようになるかもしれないぞ」
と、したり顔で答えるのがお決まりになった。
 不思議なことはたんと増え、性懲りもなくキュティはすぐに冒険に出たがった。
 けれども、ふたりでいられることが何より大切であることを知ったから、喧嘩をしても仲直りをする術を覚えていった。
 ひとりでは自分が誰かさえわからなくなることも、あれから再び忘れることはなかった。
 だから、ふたりは今も一緒に新しいワクワクを探す旅を続けている。処々で仲間を増やしながら。


第二章

 あれから幾億年が過ぎ、大地はすっかり様変わりした。
 あのいちのみの木はすっかり役目を終え、大地の底に眠る。くねくねとよばれた蛇も、ヤーロもキュティもその仲間達でさえ、今はその姿をみることはできない。
 けれども、命を紡ぎながら、受け継がれた魂の旅は続いている。それはこれからも変わらない。

‪「IT」を観てきた

恐かったー。

何が恐かったって、子供の頃の危うさを思い出したからだ。

好奇心旺盛で、不思議なものにすぐに惹かれてしまう自分を思い出した。

いつも通る道が、ふいに、いつもと違う世界と繋がったかのような瞬間に踏み出してしまうあの危うさ。‬
‪路地に潜む曲がり角の先。

天井の染みが踊りだす前。

兄ちゃんと遊んでたはずなのにふと入り込む影、振り返るとほんの少し開いた押入れの襖。

神社でかくれんぼしていた時の呼ばれた気がする茂みの向こう。

昼間は優しい大木の突然膨らむ闇。‬
‪そういう諸々を思い出して、恐かった。‬


‪「IT」が、スティーブン・キング原作だと知らなかったから、映画を観ながら私は「グーニーズ」のオマージュなのだと思った。ルーザーズの面々のキャラクターが、まるでグーニーズそっくりだと思った。

主人公の吃り癖。喘息持ちで神経質な子。おしゃべりな眼鏡。鈍臭いおデブちゃん。年上のグループの3人組。出てくる井戸や坂道を下る自転車などなど。

ちなみに旦那は、スタンド・バイ・ミーを想起したらしいけど、絶対にグーニーズの方が似ていると思う。キャラクターのそれぞれや場面場面は。‬
グーニーズを想起しながら、私は、未知に対するワクワクするような冒険と恐怖に対峙する勇気って、似ているんだなと思った。‬
それと‪、「IT」に出てくる「それ」って、ハリーポッターに出てくるディメンターとそっくりだった。

だから、海外には、「恐怖」に対する概念の根底に、そういう考え方があるんだろうとも思った。‬
‪だけど、スティーブン・キングが書いた原作があるなら、きっと逆なんだろう。‬
グーニーズが「IT」のオマージュで(調べてみたら、グーニーズは1985年に発表されていて、ITは1986年に発表されているらしい。となると、当時の子供の世界を描くのに最適な形態だったのかも?)、ディメンターが「IT」のピエロからきてるんだ。読んでみたいなと思った。‬


‪描き方が上手いなと思ったのは、現実にある恐怖との対比だった。‬
‪親から受ける支配的な恐怖。

いじめっ子から受ける加害への恐怖。

仲間に入れない疎外感からの恐怖。

上手くできなかったことによる見捨てられてしまう恐怖。

もっと単純な高い崖から水の中へ飛び降りる恐怖。‬
‪そういう、現実に存在する人間が与える恐怖と、ピエロが見せる非現実的な恐怖と、どちらがほんとうに恐いことなんだろうと、つい考えさせられる。‬


‪転機は、いじめっ子から逃げるのではなく、いじめられている子を助けようと行動を起こしたところにある。‬
‪恐怖に立ち向かい撃退できたことが、大きな自信になったのが本当に自然に描かれていた。‬


‪それが何か全くわからない間は恐怖するけれど、

それが「恐怖」を食い物にする、

一人一人別々にしようとする、

根城にしている場所がある、

と明らかになっていくうちに、ただ恐怖するしかなかったそれに、対抗しようと気持ちが変化していくのも面白かった。‬


‪最大の変化は、怒りがもたらした。‬
‪大切に想う弟の心をそれが利用しているのに気がついたとき、主人公は絶対にそれを許さないと思ったはずだ。というか、観ている私がそう思った。それからは、恐いけど恐くなくなった。‬


‪実際に、それと対峙するとき、最初に思ったのは「物理攻撃」が効くんだってこと。‬
‪でも、実はあれ、効いていたのは物理攻撃ではない。それがわかるのが、実弾の入っていない銃が効いたところにある。‬

立ち向かおうとするとき、恐怖って消えるんだ。


‪秀逸だなと思う。‬

恐怖の描き方もそうだけど、恐怖を克服していく過程の描き方がとても丁寧だった。


‪最後に、第一章とテロップが流れ、ますます原作を読みたくなった。‬

わたしが私という存在に気がつくまでの話

‪わたしが私だと気がついたのっていつだったんだろう。‬
いや、気がつく前のわたしも私ではあったんだけど。
わたしと名のつく私は、分断してたくさんいる。総称して私だと気がついたのは、みたいな意味で。


先に存在しているものがあって、その目を通して世界をみてた。
小さい頃から「コトちゃん変」って言われるもんだから、戸惑ってはいたけど、私は、世界と同じだと思っていたから、何が変なのかが分からなくて傷ついていたんだと思う。

 

前にも書いたけど、違うとはっきり思ったのが、高2の時だった。母と同じものを聞いていたはずなのに、捉え方がこんなに違うって。違うのはなんでなの?と言語化したことによってくっきり浮き出た。

同じ教科書を読んで同じ授業を聞いても理解度が違うのは、みんな、「それぞれに」違うからなの?って。


でも何が違うのかは分からなかった。違うことだけがわかって、他人が他人として浮き出ただけで、そこに「自分」と呼べるものがなくて焦ったんだと思う。


そんな最中に東京へ出て、一人暮らしを始めて、友達もできなくて

(いたんだけど友達が何かもわからなくなってしまっていた。そんな私と繋がり続けてくれたのが友達だとも気づかなかった。)、

短大の授業で「自己確立」って言葉に出会って、自分って何だろうって考え始めた。


自分が何かわかるまでが苦しかった。


自分って何?
そうは思っても、自分が浮き上がってくることはなかった。


生死について考え始めたのも、この頃だったな。

自分が何かを知る根本に、生死があったから。哲学を知らなかったから、文学を読み漁って、でも理解はまったくできないままに文字だけが流れていってた。


で、死んだ。
クラスメートだった知り合いが。
バイクの事故だった。


ここに死にたい私がいるのに、死にたくなかったであろう同い年の人が死ぬ。
いつか死ぬのではなく、死は予期せず訪れるんだと、強く思った。


自分がわからないまま卒業して、私を必要としてくれる人と結婚した年、父が亡くなり、私は子供を産んだ。


生も予期せず訪れる。


子供を産んでからだと思う。
わたしが、私になっていったのは。


必要としてくれるから結婚した人を、結婚してから「好き」とはっきり、毎日確認していくような日々が、わたしとは違うあなたと私を浮き彫りにしていった。

そうして、私という存在を疑うことなく愛してくれる子供がいた。


わたしは、自分って何か?ではなく、圧倒的な存在でもって知った。
理由がいらない。
好きにも、愛にも、存在も。
あるものはある。それだけだと。


今は、二十歳になった息子に言われる。
「お母さん、変」って。
だけど私はもう戸惑わないし、傷つかない。わかってくれないって子供の頃の癖で卑屈になりそうなときはあるけど、自分を探したりはしない。
だって、ここにいる、それが私で、あるものだから。

変でも通じなくても、存在するものは変わらない。

(感情も、生活も、思考も変わっていくけどね。

細胞が生まれては死ぬを繰り返しながら毎日同じ私を作っている。

毎日同じスープを作る料理人みたいに。

毎日まったく同じではないかもしれないけれど、味はいつも美味しい、みたいな。)