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呪いをかけられたカエルの話

‪復讐をしてはいけないと人はいう。‬
‪かつて苛められていた私は、それを、やり返してはいけないと当時は受け取った。‬
‪でも、やり返してるよね、大抵の人は。皆は良くて、なんで私はダメなんだろう?そう思ったっけ、あの頃。‬

 

うんと傷を負った心は、まず仕返しをしないと立ち直れない。怒りが表に出てはじめて涙に変わる。
仕返しをしてやればいいんだよ。
復讐をしてはいけないと怯えるのは、復讐されるかもしれない側にある。

 

そうして、苛められていた私も、傷つけた相手から復讐されるかもしれないと怯える。もしかしたら、先に知らずに傷をつけたのは私だったのかもしれない。悪かったのは私なのだろうか?

 

ずっと心には自責の念があった。
復讐というと、とても恐ろしい響きを持つ。尊厳を傷つけて、相手が生きている限り苦しむ行為を想像してしまう。

まさに当時の私が尊厳を傷つけられて生きている限り苦しまなくてはいけなかったように。

 

呪いをかけられたカエルみたい。

 

だからね、自分の尊厳を守る闘いをしようと思ったんだ。相手の尊厳を傷つける闘いではなくて、私の尊厳を守る闘いを。

具体的に何をしたかって、「やだ」ってまずは文句を口にすることだった(仕返しその1)。
最初は怒りの捌け口として言葉を使っていた(仕返しその2)けど、そのうち、自分の感じたことを伝えるために言葉を使えるようになった(仕返しその3)。
そしたら友達ができた。心から「友達だ」と思える友達が。あれは嬉しかったなぁ。その子とは今でも友達だ。

 

怒りや正論は人を傷つけるということを、私はその頃に知ることができた。知ってからやっと、傷ついてきたけれど私も傷つけてきたんだなと、周りが見えるようになった。
「なんかムカつく」ってだけの理由もわからない理不尽な苛めが、あれは傷ついている人達の捌け口だったんだなぁと思うようになった。
いや、だからといって尊厳を傷つけるのは許さんけど、だからといって正論でさらにその人達を傷つけようとは思わない。ただただ、私は私の尊厳を守るために闘う。
だいたいこんな偉そうなことを言ってても、私だってストレスの捌け口に相手を悪く言いたくなり、実際に言ったりもするのだ。

で、思うのは、文句は未来の私が回収するんだなってこと。今の私が処理しきれない心を、未来の自分に託すようなものだ。そう考えれば、自分でも処理しきれるだけの文句にしておこうと思うものだ。

こう考えるのは私だけではなく、おそらく多くの人が無意識に感じているようなのだ。

感じていない人もいて、そういう人はそれはそれは美辞麗句のように他人を貶すけど。

でもその呪いを受けるのは私じゃない。

そういうわけで、今はもう、すーっと嫌な人からはフェイドアウトする。理由を教えないのは可哀想だなと思っても、それを教えるのも私じゃない。

零した先に誰かが拾うさ。

 

お釈迦様は仰った。受け取って貰えないプレゼントは誰のものになるのだろうかと。

 

文句は未来の私へ呪いをかけることだし、行動や苦しみ悩むことは未来の私へのご褒美となる。余裕がないなら未来へ託すし、結局は今できることをこつこつとってことなんだろう。

 

こうして私の呪いは解けた。

いつの間にか。

だけど人になったのかはわからない。