ひとりぼっちのさる

 ひとりぼっちのさるがいました。

 ひとりぼっちのさるは、いつも一人でした。

 でも、寂しいと思ったことは一度もありません。

 

 ひとりぼっちのさるは、一人で散歩をするのが好きでした。

 一人で絵を描くことも好きでした。

 一人で音楽を聴くことも好きでした。

 他にも好きなことはたくさんありましたが、ひとりぼっちのさるは、一人で過ごす時間がなにより楽しかったのです。

 

 ある日、ひとりぼっちのさるがいつものように散歩をしていると、いっぴきのさると目が合いました。いっぴきのさるは微笑んで軽く会釈をしましたが、ひとりぼっちのさるは気がつかなかったふりをしました。それからお気に入りの川の畔につくと、いつものように絵を描きはじめました。すると、さっきのいっぴきのさるがやってきて、

 「いい絵だね」

と言いました。

 ひとりぼっちのさるは、それでも黙って絵を描き続けました。

 

 次の日も、その次の日も、そのいっぴきのさるはやってきて、

 「上手に描くもんだなぁ」

とか、

 「ぼくも描けたらなぁ」

と、ひと言ふた言おいて帰っていくようになりました。そのうち、ひとりぼっちのさるが描き終わるまで傍らに座って過ごすようになり、ひとりぼっちのさるが帰り支度をはじめると、

 「じゃ、また明日」

と帰っていくのです。

 

 最初のうちは、

 (けむたい奴だな)

と思っていたひとりぼっちのさるも、いっぴきのさるが来ないと、

 (どうしたんだろう)

とか、

 (風邪でも引いたかな)

と通りの方へ目をやるのに忙しくなり、ちっとも絵筆がすすまなくなりました。

 そして、いっぴきのさるが手に花なんかを持ってやって来るのが遠くにみえると、慌てて絵の構図を確認する仕草をして、さも君のことなんか気にしていないと言わんばかりに絵を描きはじめるのでした。

 気持ちを隠したいばかりに、そんな日はしかめっ面をよりいっそう渋面にして、話しかけられてもろくに返事をしませんでした。

 いっぴきのさるは、そんなひとりぼっちのさるの心を知ってか知らずか、

 「今日は調子が良くないみたいだ。邪魔をしちゃ悪いから帰るね」

と、あっさり行ってしまったことがありました。

 その時、ひとりぼっちのさるは、世界に取り残されたような気持ちになりました。

 だから、最近では、いっぴきのさるがやってくると、

 「やぁ」

と自分から声をかけるようになりました。

 そうすると、いっぴきのさるはとても嬉しそうにして、

 「ぼく、邪魔なんじゃないかと思ってた。よかった」

と、心からほっとしたように笑うのでした。

 その笑顔をみて、ひとりぼっちのさるもほっとする気持ちで、

 (声をかけてよかった)

と思えたのでした。

 

 もうじき、描いている絵が完成しそうでした。

 そうすると、ひとりぼっちのさるはまた落ち着かない気持ちになりました。

 いっぴきのさるは、気づいているのかいないのか、こんなことを言いました。

 「この絵が完成したら、また別なところで描くの? 」

 「まだ決めてない」

 「そっか。なら、この間ここへくる途中で見つけた花畑はどうだろう。とても綺麗だったんだ、時間を忘れてしまうくらい。今度、行ってみる? 」

 ひとりぼっちのさるは、答えられずにいました。答えられずにいると、いっぴきのさるが答えを出してしまいました。

 「あぁ、嫌ならいいんだ。もし、と思っただけだから」

 その日は気まずい沈黙のうちに日が過ぎていきました。太陽が山の端にかかる頃、ひとりぼっちのさるは何か言わなければと思いました。そして、

 「明日もくる? 」

と後ろを振り返って聞いてみました。

 「いつ完成するかな」

と逆にいっぴきのさるは聞きました。

 「たぶん、あと三日くらい」

 「そう」

と答えたいっぴきのさるは太陽を背負って影の中に入ってしまい、顔がよく見えませんでした。

 あの笑顔がみたいなと、ひとりぼっちのさるは思いました。

 結局、明日もくるのか答えることなく、いっぴきのさるは背を向けて帰ってしまいました。

 手をあげたようにみえたけど、それも沈む夕陽が邪魔をして、よくわかりませんでした。

 

 ひとりぼっちのさるは、なぜあの時「行く」と答えられなかったのだろうと、ぼんやり思いました。

 

 それから次の日。

 ひとりぼっちのさるは、いっぴきのさるがやって来るのを待っていました。

 あれから一晩考えて、「君がそんなに言うのなら行ってやってもいい」と言うつもりでした。

 心がすっきりしたのか、余計なことは考えたくなかったのか、今日は通りを気にすることもなく、絵筆がよくすすみました。

 なんなら、「この絵を君にあげてもいい」と言ってやろうと思い立ちました。そしたらあのさるは、どんなに嬉し気にするだろうと自分の思いつきに一人ほくほくしていました。

 そうしてとうとう、いっぴきのさるは姿を現しませんでした。

 ひとりぼっちのさるは、完成間近の絵を、川へ放りたくなりました。けれどそれも癪に障るので、乱暴に身支度をすると、

 「あんな奴、もう二度と口を聞いてやるもんか」

と独りごち、家路につきました。

 帰り道の間、

 (あんなさるのことなんか、これまでも気にかけてやったことはない、これからだってあるもんか)

とすっかり忘れてしまおうとしました。夕飯のことを考えて、少し贅沢をしようと思いました。楽しい気持ちになり、

 (ほら、すっかり忘れたぞ! これからだって一人の方が何倍も楽しいさ)

と自分に語りかけました。すっかり忘れたつもりになって、

 (だから一人の方が楽なんだ。煩わされることがない。なんて一人は楽しいんだろう)

と思い込もうとしました。さてこれからどんな楽しいことを一人でしようかと思いながら、

 (あいつは最初から寂しそうな奴だった。あいつは一人で過ごす楽しさを知らない。だから平気で人を誘って、自分のお気に入りを押しつけようとするんだ。そうだ!ぼくはそれが嫌だったんだ。だからあいつに答えなかった。それでいて勝手に傷ついて、ぼくを悪者にしたてあげるんだ)

と、いっぴきのさるのことばかり考えていました。そうしてそんな自分には気がついていませんでした。

 だから、夕飯はいつもより贅沢をしたのに、ちっとも楽しくありませんでした。楽しくないのを、不味かった食材のせいにしました。

 眠れないのも、高いだけで不味かったワインのせいにしました。

 

 次の日は、雨でした。

 いつもより遅く起きたら、窓の外ではしとしとといつ降り出したのかわからない雨の音がしていました。いつ止むのかもわからない空模様をみて、なぜかひとりぼっちのさるは、ほっとしていました。

 出かけられない言い訳を、雨がくれたような気持ちでいました。

 のろのろと起き出して、さて今日は何をして過ごそうかと、部屋を見渡しました。がらんとしてみえる部屋で、ひとりぼっちのさるは今までどう過ごしていたのかわからなくなっていました。

 (雨が降ったのは久しぶりだから)

 そう思いました。

 鬱々とする気持ちも、雨が上がれば良くなるだろうと思うことにして、ゆっくりと音楽を聴きながら寂しくみえた部屋の模様替えをはじめました。

 昨日のまま放っておいた画材袋には目もくれませんでした。

 自分の描いた壁の絵をなるべく華やかなものへと変えました。飾ってある花の水を取り替えて目に入りやすい所へ移してみました。もともと一人で気ままに暮らしてきた部屋です。すぐにすることはなくなりました。

 目に入る花をみて、あの日、遅くやって来たいっぴきのさるの手にあった花を思い出していました。

 (こちらの気もしらないで、呑気なもんだな)

と腹を立てたことも。口を聞かずにいたら、帰ってしまったことも。あの後、素直になれなかった自分を後悔したことも。

 少しだけ素直になって、こちらから声をかけた時の、あのいっぴきのさるの笑顔を。

 寂しいと思いました。

 ひとりぼっちのさるは、はじめて、寂しいことを自分の心に認めました。

 雨の音に合わせて、静かに音楽が耳に流れました。ひとりぼっちのさるは、音楽の任せるままに、静かに静かに泣きました。

 (一人でも楽しかったのは、自分の心に素直に生きてきたからだ)

 ひとりぼっちのさるはそう思うと、放ったらかしにしていた画材袋から描きかけの絵を取り出しました。それから、一心に絵筆をすすめていきました。

 

 次の日は、すっきりと晴れた青空が広がりました。

 ひとりぼっちのさるは、丁寧に包まれた紙袋を手に持ち、いつもの川の畔でそわそわと通りの向こうへ目を凝らしていました。

 川面は昨日の雨で増水しはち切れそうでした。流れも速く、それでも日の光を受けていつも以上に輝いてみえました。

 通りの向こうから、いっぴきのさるがやって来るのがみえました。何やら、大きなものを抱えて歩いてきます。

 ひとりぼっちのさるは待ちきれなくなって、通りへ駆け出していました。

 いっぴきのさるは、そんなひとりぼっちのさるを嬉しそうに眺めると、

 「やぁ、助かった。手伝ってくれる? 」

と聞きました。

 ひとりぼっちのさるは、いっぴきのさるに会えたら言いたいことがたくさんありました。ありすぎて、言えなかったらどうしようと不安でいっぱいのところへそんなことを言われ、すっかり面食らってしまいました。戸惑う間に、一緒にその大きな包みを畔まで運びました。

 いつもの場所へ着くと、いっぴきのさるが言いました。

 「開けてみて! 」

 ひとりぼっちのさるは言われるままに包みを解きました。一脚の椅子でした。背もたれと膝掛けのついた、とても座り心地の良さそうな椅子でした。

 「どう? 」

と聞かれて、ひとりぼっちのさるはまた答えられなくなりそうでした。だから、

 「いい椅子だね」

と考える前に思ったことを思ったまま答えました。

 いっぴきのさるはそれを聞くと、ほっとしたように、笑いました。ひとりぼっちのさるがみたかったあの笑顔でした。

 ひとりぼっちのさるは嬉しくなった勢いで、

 「これ、君に」

ともっていた包みを渡しました。描きあがった絵でした。

 いっぴきのさるは、飛び上がるようにして、

 「いいの? 」

と聞いたあとに、少し沈んだようにこう言いました。

 「もうここには来ないんだね」

 ひとりぼっちのさるは、もどかしそうに、だけど頑張って言いました。頑張った分、少し顔は強ばっていました。

 「だからこの椅子は、ぼくの家まで運んでくれなくちゃ困るよ! 」

 いっぴきのさるはびっくりしたように笑いました。ひとりぼっちのさるもつられて、ほんの少し照れたように笑いました。

 

 それから、ふたりは一緒に荷物を運び、一緒に花畑へ行きました。

 

 ひとりぼっちのさるは、今でも、一人で散歩をすることが好きです。

 一人で絵を描くことも好きです。
 一人で音楽を聴くことも好きです。
 他にも好きなことはたくさんありましたが、ひとりぼっちのさるは、加えて、いっぴきのさると過ごす時間も好きになりました。

 一人で過ごすことが、前よりも楽しくなりました。後から誰かに話す楽しみが増えた分。

 そして、ここにいっぴきのさるがいてくれたらなと思うことも増えた分、寂しいと思うことも多くなりました。

 そんな時は、自分の心に素直でいるか、静かに問いかけてみるようです。

 友達のできた大切な日のことを思い出しながら。