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心の後遺症

心の後遺症の多くは安全になったから起こるんだと思うの。‬
‪「もう安全なんだー」ってうんと満足したい為に起こるんじゃないかと。‬
‪もう違うんだ、今までとはやり方を変えていけるんだって。‬
‪そうだとしたら、今は後遺症が辛くても、うんとその分幸せになれるって話も案外嘘ではない気がする。‬

心の選択肢が増えた分幸せを感じられるのなら、辛かった分苦労した分の幸せとも言い換えるのは可能だから。

 

‪所と相手が変われば手法も変わる。‬
‪よく自分が変わらなきゃ人は変わらないっていうんだけど、人を変えたいがために自分を変えようとするのは苦しいだけだと思うのね。‬
‪性格も感情も、無理やり変えようとするのは人権侵害だし、自分自身のことだからって、してはいけないことなんじゃないのかなぁって。‬

じゃ、何を変えるのかって、まさに手法で。‬
‪怒って聞いた方が答えてくれるのか、優しく聞いた方が答えてくれるのか、何も聞かない方が答えてくれるのか、その人によるからその人に合わせる。

その人に合わせるには、まず、「私はこう思う」を伝えなければ合わせられる所も分からない。‬
‪その手法をね、学んでいければいいんじゃないかと。‬

人と関わっていかないとその手法は増えていかない。その時だけの応急処置的な関わりの手法と、長期的な関わりの手法とがあって、そういう付き合いを経験していかない限りは知り得ない。‬
‪だからどんな人の話も「なるほどね」だし、どんな人にも「なぜそう思うのか」を聞かなきゃ分からない。‬‪

 

積み重なっていくのは、どこでも生きていける生きやすさとしてのスキルではなくて、その人との関わりで積み重ねていく過ごしやすさとしてのスキルなんだろうなぁって。‬

気を遣わないとは、その「なるほど」と「なぜそう思うのか」を、躊躇なく聞けることだと思っている。‬
‪話すのが苦手な人や傷つけるのが嫌だと怯える人がほとんどだし、聞かれただけで否定されたと思ってしまう人も中にはいる。それもかなりの頻度で。私は傷つずに人と会話などできないと思っている人間だから、ずけずけ聞いてよく嫌われる。‬

だからある程度、どう聞いたら話が聞けるのか、話せるのかを関わりの中でその人と築いていくのが信頼になるのだろう。

 

‪(私も昔は、聞かれただけで否定されたと思ってしまう方だったんだけどね。。

傷ついて気がつくことばかりだったから、そうして傷つけることへは酷く鈍感な人間になった。

最低な部類の人間だけど、これはこれで好きなんだなぁ、こんな自分が。

正当化する言い訳をするなら、ちゃんと傷つける側でい続けること。

たぶんそれが私の責任のとり方なんだ。私の言葉で傷ついたという人に謝れるように。勝手に察して分かったふりをするのは、相手と自分に失礼になるし、長期的にみればその方が関係は持続していくことを学んだから。逆に言えばますます、その場限りの付き合いが苦手というか、できなくなりつつあるのはご愛嬌で。なんでも上手くはいかないんだ。どちらを自分が選択するのかでしかないから。

今後、その場限りのなぁなぁさが、人によっては持続していくこともあると学ぶこともあるとは思う。でも、私はそういう付き合い方が好きではないから、相手が良くても私がダメなわけで。

合わせようとしても合わず、合わせてもらっても合わずが、相性なんだろうし、縁なんだ。

人間関係の大抵が、良しあしではないのはこれが理由なのだろうと見当している。)‬

 

余談が長くなった。

話を戻します。(´∀`*)テヘッ


‪心の後遺症は、そうした関係の中で「あの時もこうすることができたなら」と痛みをもたらすものだ。もしくは「あの時はどうすれば良かったんだろう」って。

でもそれは所も相手も違う中で起きた、自分なりのその時最上の手法だったのは間違いない。生きてるからさ、生きてこられたのだから、そこは間違いなかったのだと断定してもいい。

後悔するのは、他にもとれる選択があることを知ったからなんだもの。知らない間は、後悔もできない。ただただ痛むだけの、それこそ蓋をしたまま放置するのがいい記憶になる。

逆に、後悔したりトラウマがパックリ開いたりしている時は、実はその手法を選択しなくてもすむようになったことや、選択肢が増えてることに成長を感じる瞬間だったりする。‬

そういう受け止め方があるよって、心の選択肢の一つとして置いておきたい。ここに。

やみくもに、苦労した分だけ幸せになれるでもなく、辛い思いをしたのだから幸せにならなくちゃでもなく。

そのために「自分を変えなくちゃ」と追い込むのでもなく。

 

「成長しているんだ、

選択肢が増えたんだ、

もう大丈夫なんだ」

って。

心はただ喜びたいんだと思う。

その喜びは、後遺症や後悔というきっかけがもたらすものだから、冒頭に書いたように、辛い分苦労した分の幸せはあるんだろうと、私は思う。