嫌われる勇気じゃない

‪嫌われるのが怖いのではなくて、本当は「好きになる」ことが怖い。‬


‪好きになったら幻滅するし、

好きになるから嫌いになるし、

好きだから嫌われたくなくなる。

期待に応えたくなる。‬
‪そして、もうこれ以上、期待に応えられない自分をみたくない。

人を嫌う自分を嫌いになりたくない。‬

(全てを許容してほしいという深層にあった心が、無意識に全てを許容しなければと思っていた。だから、相手の期待に応えられない自分がダメなのに、不甲斐ないのを棚にあげて嫌いになるとか、超絶身勝手すぎる!ありえない!って首を絞めてた。)


‪そうして昔は拗らせていたから、好きになる前に関係を切っていた。‬
‪立ち入らせなかった。‬

好きにならなければ嫌いになることもなかったから。

同じように、好かれている間に別れたいと、よく思ったものだ。

どこかで気がついていたんだよね。

好きになったら「嫌い」も必ず出てくることに。


ただ‪皮肉なことに、人とのあらゆる関係は、自分が「好きになる」ことから始まる。‬
‪そして「好きになる」ことがなければ持続しないのだ。

なぜって、「好きになる」ことでそこに他者が存在するようになるからだ。‬

心に他者が存在しないとは、孤独ではなくて孤立だ。心の孤立なのだ。


そんな中‪、それでも私が「好きになった」人達から学んだことは、嫌いになっても構わないということ。‬
‪幻滅してもいいし、悪態をついてもいいし、期待に応えなくてもいい。‬
‪全部を好きじゃなくていいんだってこと。

 

私はこれで、とても楽になった。‬
‪好きになることが怖くなくなったのは、一度好きになったら死ぬまで好きでい続けなければ裏切りになると、どこかで思っていたからだ。‬

ちょっとでも嫌いなところとかあったらダメだと思い込んでいた。それもあって、好きな人のダメなところとか見えても、見て見ぬ振りをして懸命に許容しようとしていた。

ダメじゃない。ダメと思ってしまう私の心が狭いんだって。

私の幸いなところは、弱みにつけ込んで踏みにじるだけ踏みにじっていこうとする人達が周りにいなかったことだ。

(見守って下さったご先祖さまに感謝しております)

好きな人の中に嫌いなところはあるし、嫌いな人の中にも好きなところはあるものだ。

そうして相手も、その事は重々承知の上なのだ。重々承知の上になければ、その関係はいつか破綻するように思う。

だから、ごめんねとありがとうが日常に必要で、必須の心となる。

なかったらやっぱやってらんないってなるのが人ってもんだと思うんだ。‬
‪嫌いが持続しない、持続させないって、とっても大事。

つまり言い換えたら、「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えたらどこでも生きていける!ってこと。

これは私の持論だから、

「そこそこね」

と弱気をつけ足しておく。

私もまだ人生の途中だから、さ。

 

それに気がついてからは、自分の中にも好きなところと嫌いなところがあって当然なのだと思えるようになった。嫌いなところをダメだと思わなくなった。‬

あ〜、そんな日も、そんな時もあるよねぇ。ドンマイ!次からもうちょっと気をつけるー

(直るとは言わないし、直すとも言わない)‬

そんなんだから、相手にも求めなくなった。‬
‪「そういうとこ、嫌いー」で済むようになった。

(たいてい本人に言う。ちなみに「そういうとこ、好きー」も思ったら言う)

 

そうして、言えるようになってから気がついた。

「そういうところが嫌い」って本人に言えるのは、それでも好きだと感じる心があってのことなのだと。

「そういうところが嫌い」って言われても受け入れられるのは、それでも私の「好き」がそこにあるからなのだと。

それでも好き、

だから好き、

含めて好き、なのだ。

本当に嫌になって関係を絶ってしまいたい時は、本心を見せたくなくなる。それは、「嫌い」という言葉だけでなく、どんな言葉もなくなるということだ。

言葉は心そのものだから。心のない言葉は空っぽで、空っぽだから上滑りしてどこにも届かない。

 

だからといって、好きだと思っていた「時」の事実は変わらない。

 

インサイドヘッド(ディズニー映画)を観た人はわかると思うけれど、最初は一つの思い出には一つの感情だった想い出の玉が、最後はあらゆる感情が織り交ざった玉になっていた。

(観てない人は、なんのこっちゃって話だから、機会があったら観て下さい。o┐ペコリ)

本来、人の感情とはそういうもので、一つの事柄に一つの感情なんてありえない。

 

好きと嫌いは喜怒哀楽だけでなくあらゆる感情の元となるものだから、もっと混在していて不思議はない。

むしろその方が自然だ。

 

一度「好き」と思ったら、ずっと好き、全部好きではなくて、

「好き」と思ったその時があったのなら、

その事実があったことは変えようがない、

ということなのだ。

もし、「あの時の私はどうかしていた」と、あった感情をなきものにしようと誤魔化したとしても、他人は欺けても自分で自分を欺くのは骨が折れるし、そのうち本当の自分の気持ちが分からなくなるからやめておいたほうが良いよと、そっと置いておきます。

 

そして、ずっと好き、全部好きって今思っている人がいたら、

幸あれ!♪

その気持ちに嘘がないなら、嫌いになところを見つけても、ダメなところがあっても、互いに上手くやっていけるさ(´∀`*)

きっとね、きっと。

 

いいところひとつ
それで人間生きていける

だめなところたくさん
それで人間愛される

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