わたしが私という存在に気がつくまでの話

‪わたしが私だと気がついたのっていつだったんだろう。‬
いや、気がつく前のわたしも私ではあったんだけど。
わたしと名のつく私は、分断してたくさんいる。総称して私だと気がついたのは、みたいな意味で。


先に存在しているものがあって、その目を通して世界をみてた。
小さい頃から「コトちゃん変」って言われるもんだから、戸惑ってはいたけど、私は、世界と同じだと思っていたから、何が変なのかが分からなくて傷ついていたんだと思う。

 

前にも書いたけど、違うとはっきり思ったのが、高2の時だった。母と同じものを聞いていたはずなのに、捉え方がこんなに違うって。違うのはなんでなの?と言語化したことによってくっきり浮き出た。

同じ教科書を読んで同じ授業を聞いても理解度が違うのは、みんな、「それぞれに」違うからなの?って。


でも何が違うのかは分からなかった。違うことだけがわかって、他人が他人として浮き出ただけで、そこに「自分」と呼べるものがなくて焦ったんだと思う。


そんな最中に東京へ出て、一人暮らしを始めて、友達もできなくて

(いたんだけど友達が何かもわからなくなってしまっていた。そんな私と繋がり続けてくれたのが友達だとも気づかなかった。)、

短大の授業で「自己確立」って言葉に出会って、自分って何だろうって考え始めた。


自分が何かわかるまでが苦しかった。


自分って何?
そうは思っても、自分が浮き上がってくることはなかった。


生死について考え始めたのも、この頃だったな。

自分が何かを知る根本に、生死があったから。哲学を知らなかったから、文学を読み漁って、でも理解はまったくできないままに文字だけが流れていってた。


で、死んだ。
クラスメートだった知り合いが。
バイクの事故だった。


ここに死にたい私がいるのに、死にたくなかったであろう同い年の人が死ぬ。
いつか死ぬのではなく、死は予期せず訪れるんだと、強く思った。


自分がわからないまま卒業して、私を必要としてくれる人と結婚した年、父が亡くなり、私は子供を産んだ。


生も予期せず訪れる。


子供を産んでからだと思う。
わたしが、私になっていったのは。


必要としてくれるから結婚した人を、結婚してから「好き」とはっきり、毎日確認していくような日々が、わたしとは違うあなたと私を浮き彫りにしていった。

そうして、私という存在を疑うことなく愛してくれる子供がいた。


わたしは、自分って何か?ではなく、圧倒的な存在でもって知った。
理由がいらない。
好きにも、愛にも、存在も。
あるものはある。それだけだと。


今は、二十歳になった息子に言われる。
「お母さん、変」って。
だけど私はもう戸惑わないし、傷つかない。わかってくれないって子供の頃の癖で卑屈になりそうなときはあるけど、自分を探したりはしない。
だって、ここにいる、それが私で、あるものだから。

変でも通じなくても、存在するものは変わらない。

(感情も、生活も、思考も変わっていくけどね。

細胞が生まれては死ぬを繰り返しながら毎日同じ私を作っている。

毎日同じスープを作る料理人みたいに。

毎日まったく同じではないかもしれないけれど、味はいつも美味しい、みたいな。)