「おはなし ききます」

 

 やぎ先生は、ずっと、大きな森の大きな病院でとても立派な先生として暮らしてきました。
 けれど、年をとっても立派でい続けるのは骨が折れるのです。それに、若者達にも立派に成ってもらいたかったので、思いきって、立派なことは全部ゆずることにしました。
 そして、やぎ先生は、子供の頃に過ごした小森のどうぶつ村へ引っ越すことに決めました。

 

 小森のどうぶつ村では、大変に立派な先生がやってくると、うわさで持ち切りでした。
 りすのお母さんは、
 ( 子供が病気になったときも、これで安心して診てもらえるわ )
と思いましたし、ワニのおばあさんは、
 ( 歯が痛くなったら診てもらおう )
と思いました。

 食いしん坊のうさぎ達は、
 ( お腹を壊しても、もう大丈夫 )
と、柔らかいクローバーもタンポポの硬い葉もなんでも食べられると喜びました。
 小森に住むどうぶつ達は、やぎ先生がくるのをそれは心待ちにしていました。

 

 いよいよ、やぎ先生がやってきました。
 そして、やぎ先生の住む家の前に、こんな看板が出されました。
 「 心の診療所 」 ☏△△△-〇〇☆☆
   当院は予約制です
   まずはお電話ください
  診察日
   月〜金  10時~13時  15時〜19時
   土曜日  10時~14時
  休診日
   日曜日・祝日

 

 小森のどうぶつ達は、頭をちょっとかしげました。
 そうしてさっそくお腹を壊したうさぎのクロは、やぎ先生に診てもらうついでに聞いてみようと思いました。
 けれど、聞きたいことを聞く前に、電話を切られてしまいました。
 やぎ先生のいうには、
 「 それはここでは診られません! 」
でした。
 小森のどうぶつ達は、うさぎのクロからそれを聞くと、ますます頭をかしげました。
 ( やぎ先生は、何を診てくれる先生なのかしら )

 

 やぎ先生も、すっかり参っていました。
 予約制だと書いてあるのに、ワニのおばあさんは突然訪ねてきて、
 「 歯が痒い! 」
と、喚き立てるので、
 「 ここでは歯は診られません! 」
と理解してもらうのに、こちらも喚かなければなりませんでした。
 りすのお母さんは、電話口で、
 「 予約制だと聞いたんですけど、子供が熱を出したのですぐ診てもらいたいんです。」
と、とても切羽詰まった声で訴えるので、やぎ先生は心配になって思わず病状を聞いてしまいました。それから、
 「 子供をちゃんと診ることのできる病院へ電話をしてみてください。」
と、役に立てないと大変申し訳なさそうに断るしかありませんでした。
 やぎ先生は、これまでの自分はそれなりに立派な先生としてやってきたと思っていました。けれども、小森のどうぶつ村へ来てからは、先生として頼られるにはあまりにも役立たずだと思わざるを得ませんでした。
 そして、看板の隣に、こんな張り紙が出されました。
 「 心の病気しか診られません 」

 

 そうして、小森のどうぶつ達は、さらに頭をかしげました。
 ( 心の病気ってなにかしら? )
 りすのお母さんは、りすのお父さんに聞いてみました。
 「 こころって、なにかしらね? 」
 お父さんはどんぐりのパイをもぐもぐさせながら、
 「 新種のどんぐりかな。」
と言いました。
 食いしん坊のうさぎ達は、
 「 病気っていうからには、食べられない葉っぱのことだろう。」
と、こころの葉っぱがどんな味なのかあれこれ言い合いっこをしていました。
 チドリの歯医者に通いながら、ワニのおばあさんが、
 「 心の病気って、痛いのかねぇ、痒いのかねぇ。」
と言えば、チドリ先生はちょっとは先生らしく、
 「 心は歯のように悪いところが見えませんからね。」
と言いました。

 

 こうして、小森のどうぶつ達は、すっかり困ってしまいました。
 ほんとうは、困ることなどちっともないのです。だって、やぎ先生の来る前は、やぎ先生がいないように暮らしてこれたのですから。
 けれども、せっかく立派な先生がいらしてくれたのに、なにがどう立派なのかがちっとも分からなくて、すっかり困ってしまったのでした。
 なぜって、このままやぎ先生がどう立派な先生なのか分からないままでは、やぎ先生が大きな病院のある大きな森へ戻ってしまうのではないかという心配があったからでした。
 やぎ先生は、心の病気しか診られませんと言いながら、けっこう親切に相談に乗ってくれました。
 うさぎのクロは、お腹が痛いと電話して診られないと断られたものの、なぜお腹が痛くなったのかをあんなに良く聞いてくれた先生は初めてでした。その後、やぎ先生のところへ治ったお礼に伺うと、暴飲暴食をしなくてよくなるアドバイスをいくつか教えて貰いました。
 ワニのおばあさんだって、今、チドリ先生の歯医者に通うようになったのはやぎ先生が歯医者は怖くないことや、通わない方が怖くなることなどを懇切丁寧に辛抱強く諭してくれたからです。
 りすのお母さんは、子供が熱を出してパニックになりかけていたところ、やぎ先生が「 大丈夫、大丈夫 」と話を聞いてくれたことで、何をすればいいのか明確になりとても安心することができたのでした。
 そうして、すっかり、小森のどうぶつ達はやぎ先生のことが大好きになっていったのです。
 だから、やぎ先生がどう立派な先生なのかを知ることは、とても大事なことで、分からないことは大変に困ったことなのでした。

 

 そんなある日のこと。
 やぎ先生は、すっかり自信をなくして、とぼとぼと川辺りを歩いていました。
 歩きながら、自分の心がぽつり、ぽつりと語るのを聞いていました。
 ( 立派なことは全部やめにしたかったはずなのに、この村では役に立てることがない。それがこんなにも堪えるとはなぁ。
 それはつまり、この村には心の病気を抱えている人がいないということだ。素晴らしいことじゃないか。
 自分みたいな職業が必要とされない、それこそ、実は自分がずっと追い求めてきたものじゃないのか。
 なのに、こんなにも寂しく思うなんてなぁ )
 川のせせらぎがシャラシャラと音を立て、水面は日に照らされてキラキラ眩しいほどに輝いていました。岸辺には、黄水仙が見事に咲き誇っています。
 ( あぁ、こんなにも、全ては誇らしげにいるのに、僕ときたら…。
 結局、ちやほやして欲しかっただけなのか……… )
 そう、やぎ先生が立ち尽くしていたときでした。

 「 こんにちは。」
と、黄色い帽子をかぶった小りすの坊やが、丁寧な挨拶をして後ろを通り過ぎていきました。
 やぎ先生は、気持ちがあまりにも沈んでいたので、とっさに声が出ませんでした。そこで、通り過ぎてから小さく会釈を返すのが精一杯でした。
 そんな自分にますます嫌気がさそうとしたところへ、
 「 やぎ先生、どうしたの? 」
と、今度は左隣から可愛らしい声がのぞき込むようにして聞こえました。
 目をやると、通り過ぎたはずの小りすの坊やが、大きな瞳で心配そうにこちらを見上げていました。
 ( こんな小さな子供に心配されてるようでは、いかんいかん )
と、優しい笑顔をつくると、
 「 坊や、心配してくれてありがとう。」
と、目の高さを合わせるようにして腰を低めました。
 すると小りすの坊やは、
 「 おはなし、ききますよ。」
と、にっこり笑って言ったのです。
 やぎ先生は、面食らってしまいました。目を二回パチパチすると、
 「 やっぱり、おばあちゃんのようにはなれないや。」
と、坊やの方がさっと目線を外して、照れたような残念がるような仕草でうつ向いてしまいました。
 やぎ先生は、はっとして、坊やの両手を握りながら言いました。
 「 いやいや。うん。ぜひ、きいてもらおうか。」
 そうして、そこへ、ストンと腰を降ろしました。
 小りすの坊やは、ぱっと嬉しそうに顔を輝かせると、
 「良かった! 」
と言いながら、りすのおばあちゃんがいつもそうやって、寂しそうな顔をしていたり元気がないときには話を聞いてくれたこと、最後には飴をくれたことを話してくれました。
 「 はい! 」
 小りすの坊やが差し出した小さな手には、黄色の飴がのっていました。
 やぎ先生はありがたく受け取ると、口の中にさっそく放り込みました。甘くて酸っぱい味が口に広がると、心なしか元気になった気がするのは不思議でした。
 「 あのね、元気が足りないときは黄色い飴で、嬉しさが足りないときは赤い飴なんだよ。泣きたいのに泣けないときは青い飴をくれるんだ。それでね、怒らなきゃいけないのに勇気が出ないときは白いハッカ飴だったんだ。」
と、小りすの坊やはとても懐かしそうに話してくれました。
 やぎ先生が、
 「 素敵なおばあ様だなぁ。」
というと、小りすの坊やは寂しそうに、
 「 でも、もういないんだ。」
と言いました。
 近くの草むらからカエルが飛んだのか、ポチャンと水が鳴りました。ゆらりとひとつ、黄水仙が揺れたような気がしました。
 やぎ先生は、小りすの坊やの肩へ手を置いて、
 「 おはなしを聞いてくれてありがとう。おかげで本当に元気になった。黄色い飴が効いたかな? 」
というと、小さくウィンクしました。
 それを聞いて、坊やはほんとうに嬉しそうに笑いました。
 そのとき、さわさわと風が吹いて、やぎ先生はとても大切なことを思い出せた気がしました。
 それから、
 「 お礼に、いつでも遊びにおいで。こんどは僕がおはなしをききます。」
と、にっこりしました。
 小りすの坊やは嬉しかったのか、コロンと一回転すると、
 「 うん! 先生、ありがとう。」
と、小さなしっぽをフサフサさせながら帰っていきました。
 やぎ先生は、その後ろ姿を見送ると、ほんとうに心から活力が湧いてくるような気持ちになって自分も帰っていきました。
 夕焼けの始まりが静かに見守るようでした。

 

 それから、やぎ先生の診療所の張り紙はこうなりました。
 「 おはなし ききます
    どなたでも
    いつでも
    お気軽に どうぞ 」

 

 小森のどうぶつ達は、いまだに、やぎ先生がどう偉いのかわからないままです。こころがなにかも、心の病気がどういうものかも知らないでいます。
 けれどどうやら、やぎ先生が、ここへどっかり腰を落ち着けそうだということはわかりました。なぜって、今は、診療所へ誰でも気兼ねなく訪ねていけるようになったからです。
 困ったことはすっかりなくなって、安心してやぎ先生へ相談に行けるようになりました。
 そうして、やぎ先生の処方してくれる飴玉は、たいそう小森のどうぶつ達に好評でした。

 

カランカラン。
ほら、今日も誰かが来たみたいです。

 

 

 「 元気が足りないときは黄色い飴を
    嬉しさが足りないときは赤い飴を
    泣きたいのに泣けないときは青い飴を
    勇気の足りないときは白いハッカ飴を
   あなたもひとつ、いかがですか 」