ダメってあんがい悪くない
「コトは 最近 困ったことある?」
唐突に旦那に聞かれて、はたと、結婚してから困ったことがないことに気がついた。
「そんなことないでしょ。子育てとか学校のこととかさ、なんかあったでしょ?」
と深ぼりされて、本当に心底困っていた10代の頃と今の違いは何だろうと考えてみた。
あの頃は、どうしよう〜って悩むことがあっても、誰にも聞けなかったし話せなかったのだ。
今は、旦那に、「どうしよう」って聞けるし話せる。旦那だけじゃなくて、旦那の両親にも聞けるし、自分の母にも話せるようになった。悩んだら、とりあえず、「どうしよう〜」ってこぼせる友もいる。
私、相談できるようになったんだ。
聞けるってことは話せるってことで、話せるってことは、悩んでも困らないってことだ。困るとは、誰にも聞けないから困るのだ。
旦那は、今はなんでもネットで検索できるから、困ることもかなり減ったんじゃないかって話がしたくて、私にそんな質問をしたらしい。
確かにネットは、気軽に「どうしよう〜」って言いやすい。
では果たして当時の私はグーグルで困り事を相談できただろうか。
できなかっただろうなと思う。
何をどう検索するというのか。
誰に、何をどう聞けばいいのかわからなかったように、きっと話せなかったと思う。
じゃあなんで話せるようになったのか。
ある時期、私は、どうでもよくなっていて、人に対して一番無防備で一番優しかったんじゃないかと思う。
人を責める気持ちが皆無だったから、誰の話を聞いても全部肯定できた。そうして、偉いね、素晴らしいねってどんな人にも思えたし、そう伝えられた。
こんなにダメな私に比べたら、である。
すると不思議なことに、人は私に弱さを見せてくれた。
何言ってんの、私もこんなにダメなのよって。
その時、ああ私ったら、自分がダメなことを隠そう隠そうとしてたんだなーって。少しでも偉く、少しでも良く見て欲しかったんだなーって。こんなにダメなのに。
笑えてきてね。
素のままの自分は、全くのダメ人間であるのに、偉いって思われたいってなんだ?って。
そうして、そんな時に出会って心を開いてくれた誰もが自分のダメなところを抱えてて、ダメだから頑張ってた。
偉いなーって、ほんとに偉いなーって思った。
で、私は、ダメだからといって頑張ることもできないダメの中でもダメな人間だから、せめてダメな自分を隠すのだけはやめようって思ったんだよね。
私と付き合ってくれる人達へは、せめて誠実にダメなところをさらけ出していこうって。
そしたら、困ってることが話せるようになってた。
たぶん、ダメなところは隠さなきゃ、自分でなんとかしなきゃって思ってたから、私は困っても話せなかったらしい。
むしろ、話しちゃいけない くらいに思っていたかも。
自分でもなんとかならないのに、誰かに話してなんとかしてもらおうって卑怯だし、ずるい。自分で考えてからにしようって。
もちろん、話したら自分が責められる、自分の評価が下がる、格好悪いって思いもあった。
それが、
いやむしろ、ダメと思われた方が私をよく分かってくれてるってことだし、
ダメな私がなんとかしようなんて、ダメなのに何ができるの?
卑怯でいいじゃないか。元々がダメ人間なんだから、
隠すんじゃないよ、
ダメな自分でなんとかしようなんて、怖い怖い、
素晴らしくて偉い人達がやった方が物事は上手くいくじゃないか、
ってな具合に、自分でなんとかしようと、思わなくなった。
人を頼ることができるようになったら、自分にもできることがあることに気づかせて貰えた。
嬉しかったよー。
ダメな私にもできることがある。
そこは頑張れる。
ダメな私が頑張れる!って凄い。
不思議だけど、私のダメさをまるっと認めて人を頼れるようになったら、自分に自信が持てるようになれたし、自分を肯定することもできるようになった。
そしたら、世の中は、ダメなところがダメなのではなくて、カバーされないことが一番困るとやっと解った。
私じゃないのだ。
私のダメなんてどうでもいいのだ。
なら、ダメをさらけ出した方が、そこはこうやってカバーしていこうってできる。
そうしたらなんだか皆んな、互いに互いの全然異なるダメなところをカバーしながら、この社会は運営されているんだなーってみえてきて、気が楽になった。
ダメなまんまを愛してみれば、ダメなまんまで愛されて、ダメなりに生きていけることを知った。
ありがたや、ありがたやである。
ダメってあんがい悪くない。