くまの子ちゃんのセーター

 新しい考えを手に入れるには、古い考えを一度捨て去り、新古を織り成す必要があります。

 では、お話のはじまりです。


 お母さんは、くまの子ちゃんが生まれたときから、いつもすてきなようふくを編んでくれていました。そしてそれはいつでも、くまの子ちゃんにぴったりなのでした。
 ある日、お母さんがいいました。
 「寒くなってきたから、あたたかいセーターを編んであげましたよ」
 さっそく、いつものようにくまの子ちゃんが着てみると、いつも以上にすてきにみえるようでした。
 「最高だわ! 」
 そう感じると、いつもはそんなことを思わないのに、だれかに自慢したくなりました。くまの子ちゃんはお外に走っていきました。

 くまの子ちゃんは仲良しのひつじさんに会うと、さっそく見せびらかすように、こう言いました。
 「ほら、すてきでしょ。」
 すると、ひつじさんは鼻で笑うようにいいました。
 「わたしのほうがすてきだわ。くまの子ちゃんのは黒くてごわごわ。わたしのは、白くてふんわり。」
 くまの子ちゃんは、なんだか急にみすぼらしくなった気がしました。
 今までなら、誰かにそんなことを言われても
 「そんなことないわ」
と気にせずにいられたのに、とたんに恥ずかしいような気持ちになり、ひつじさんがとてもうらやましくなったのです。
 なぜでしょうね。

 おうちに帰ると、くまの子ちゃんは お母さんにいいました。
 「いつも真っ黒ばっかり。ごわごわで、みすぼらしくてもういや。わたしも真っ白なふわふわのひつじのセーターがほしい! 」
 お母さんは、いつもしているようにくまの子ちゃんをお膝に乗せようとしましたが、くまの子ちゃんのお尻は半分はみ出ていました。
 「これは母さんの毛で編んだのよ。くまの子ちゃんにぴったり合うように。ひつじさんのセーターもやっぱりひつじさんのお母さまが編まれたものなのよ。それに、第一ひつじの毛糸がうちにはないわ」
 あきらめきれないくまの子ちゃんはお母さんの膝から落ちそうになりながらいいました。
「じゃぁ、ひつじの毛糸があったら編んでくれる? 」
 お母さんはくまの子ちゃんを落とさないように、きゅっと抱きしめながらいいました。
 「それでも やっぱり母さんには編めないわ。母さんはくまだから、ひつじのセーターは知らないのよ」
 くまの子ちゃんは お母さんの膝がきゅうくつになってきて、うでをほどきながらこう叫びました。
 「そんなこと、やってみなくちゃ わからないわっ! 」
 とうとうお膝から飛びだしたくまの子ちゃんは、ほほをぷっとふくらませると、お外へかけていってしまいました。

 くまの子ちゃんは、そのままのいきおいでひつじさんのおうちに向かいました。
 ドアの前で、バクバクする心をおちつかせようと大きく深呼吸をしてから、ノックしました。
 それでも少し乱暴な音がしました。
 「あら、くまの子ちゃん。どうしたの? 」
 「あのね、ひつじの毛糸が欲しいんだけど」
 ひつじさんは、かすかに眉をひそめて、
 「それなら街へ行ってみたら? 」
と、答えました。

 くまの子ちゃんはいわれたとおりに街へいきました。そこで、お母さんの編んでくれたセーターと交換して、ひつじの毛糸を手に入れることができました。
 帰り道は、お母さんの編んでくれたセーターがなかったので、とても寒いおもいをしましたが、ひつじの毛糸を手に入れたくまの子ちゃんは、ほこらしい気持ちでいっぱいでした。

 おうちに帰ると、さっそくお母さんにみせました。手はかじかんで、鼻の頭とほっぺは真っ赤でした。
 でも、目をキラキラさせながら、ひつじの毛糸をお母さんに渡しました。
「編んでくれるでしょう? 」
 お母さんはなんにも言わずに、くまの子ちゃんを抱きしめると、あたたかいお風呂に入れてあたたかい布団にくるめて、
 「おやすみ」
といいました。

 次の日の朝。
 目を覚ましたくまの子ちゃんは、お母さんのところへとんでいき、
 「わたしのセーターはもうできた? 」
と聞きました。
 お母さんは、首をふりふりいいました。
「母さんにはとても無理だわ。母さんはくまだもの。ひつじのセーターは知らないの」
 かなしそうにお母さんは昨日渡されたひつじの毛糸をくまの子ちゃんに返しました。
 くまの子ちゃんもやっぱりかなしそうにそれをうけとると、力なくつぶやきました。
 「やってみなくちゃわからないわ。」

 くまの子ちゃんはとぼとぼと歩いています。
 今日は、お母さんが以前に編んでくれたセーターを着ていました。前はぴったりですてきだったはずなのに、サイズが合わないようでみっともない感じがするのでした。
 出かける前に、なんどもなんども鏡をみては見栄えをよくしようとあれこれ工夫をしたのですが、とうとうあきらめました。出かけるのをやめようかとも思いました。
 それではひつじのセーターもあきらめなくてはなりません。
 だから、なるべく誰にも会わないように、くまの子ちゃんはうつむきながら、ひつじさんの家へと歩いていきました。
 ひつじさんのおうちまでくると、知らずにため息をひとつ、ついていました。
 ノックも、ひかえめでした。
 「こんにちは、ひつじさん」
 「あなた、だれ? 」
 「あの、あの、わたし…くまの子です」
 ひつじさんは目をまん丸にして驚いた様子で、こう言いました。
 「ごめんね。いつもと違うから気がつかなかった。」
 そうして上から下までくまの子ちゃんを眺め回すと、ちょっと息を吸ってから、とても柔らかい声で、
 「何か私で相談にのれるかな?とにかく入ってゆっくりしてって。」
と、くまの子ちゃんを家の中へ招き入れました。

 ほっとしたくまの子ちゃんは、なにもかものいきさつをひつじさんに話しました。
 ひつじさんも、なにもかものいきさつをただ黙って聞いていました。
 途中、小さく、「そうだったの?」と驚いたり、「それでそれで」と納得したようにうんうんと頷いたり、「大変だったんだね」とくまの子ちゃんの背を撫でたりして、最後は「任せておいて」と、くまの子ちゃんの手をとって力強く頷いてくれました。
 それから、ひつじさんは自分のお母さんにお願いして、「ひつじの毛で編むセーターのあれこれ」という本を貸してあげることにしました。
 これは、ひつじさんの家に伝わる大切な大切な本です。昔のひつじが、自分に似合うセーターをどうすれば上手に編めるのかを丁寧に書いた本でした。
 くまの子ちゃんは、ひつじさんとひつじさんのお母さんに、
 「ありがとう」
とお礼をいって帰りました。

 さっそく、くまの子ちゃんは本に首っ引きでセーターを編みはじめました。
 何日も何日もかかりました。
 投げ出して、ふて寝をした日もありました。泣き出して、お母さんに慰めてもらった日もありました。夜ふかしをして編み目を間違え、発狂しながらやり直したこともありました。
 そうして、やっとこの朝できあがりました。
 くまの子ちゃんは、できあがったセーターを、まずはお母さんにみせました。
 「よくがんばったわね」
とお母さんは寂しそうに微笑みました。
 最近は、いつでも寂しそうなのです。
 くまの子ちゃんはそんなお母さんに気がつくことなく、
 「ひつじさんにみせてくるわ」
と喜び勇んで出かけていきました。

 ひつじのセーターを着たくまの子ちゃんをみて、ひつじさんは思いました。
 (似合わない)
 だけど、にっこり笑ってこういいました。
 「すてき。白くてふんわり」
 くまの子ちゃんは鼻を膨らませていいました。
 「ありがとう。あなたのセーターもとってもすてきよ」
 そういわれたひつじさんは、こんなへんてこりんな子と一緒にされたくないと思いました。だからつい言ってしまいました。
 「あたりまえじゃない。だってわたしはひつじだもの」
 くまの子ちゃんが雷に打たれたような顔をしました。そして聞きました。
 「似合わない? 」
 しまったと思ったひつじさんは、慌てて言いました。
 「似合うよ。くまにしては」
 ますます青ざめていくくまの子ちゃんをみて、ひつじさんはあたふたとまくし立てました。
 「あ、ほら、白が黒に映えるっていうか、でも遠くからみたらひつじにみえるかも。あっ。近くからみたらもちろんくまなんだからくまにみえるというか、えっと、ね、毛糸がやっぱりすてき。きっと誰が着てもすてきだけど、ひつじじゃないんだもの。ひつじじゃないのにこんなにすてきにみえるのは、その、そういえば、貸した本は役にたった?」
 ひつじさんがいいおわらないうちに、くまの子ちゃんはかけていってしまいました。

 くまの子ちゃんは、かけてかけてかけて、藪を抜け川をこえ岩山の上に生えている一本ブナによじ登りました。
 月がブナの木に挨拶をするためにのぼってきます。
 その光に照らされて、くまの子ちゃんは自分がボロボロのペシャンコのドロドロなセーターを着ていることに気がつきました。
ふんわりしていたセーターは、藪を抜けた時にひっかけてボロボロになり、そのまま川に入ったのでペシャンコになり、岩山をよじ登る時にこすれて汚れてしまったのでしょう。
 朝にはふんわり白かったセーターのおもかげはどこにもありません。くまの子ちゃんは、そんなセーターにどこかほっとしながらお月様にききました。
 「わたしはひつじになりたかったのかな? 」
 お月様は笑っています。
 「ばかだなぁ」
 くまの子ちゃんも笑ってしまいました。くすくすとお月様と一緒に笑って、
 「さようなら」
と帰りました。

 帰ってきたくまの子ちゃんを、お母さんはしっかりと抱きしめて、あたたかいスープを飲ませてくれました。
 それはお月様のような優しい色合いのスープでした。心まであったかくなったくまの子ちゃんは、まだ着ていたひつじのセーターを脱ぐといいました。

  「お母さん、ごめんなさい。このセーターはもういらないわ。だから、明日からはくまのセーターを教えてね。自分で編めるようになりたいの」
 お母さんは、すっかり大きくなったくまの子ちゃんにキスをしました。
 そうしてやっぱり寂しそうに微笑みました。
 やさしい、やさしい、笑顔でした。

 ひつじのセーターは、くまの子ちゃんのお母さんがきれいに洗ってくれました。もとのようにふんわりにはなりましたが、ちょっと縮んだようでした。
 それを、くまの子ちゃんは、全部ほどいて毛糸に戻してしまいました。ほんの少しもったいない気もしましたが、それ以上にさっぱりしました。

 いまではすっかり、くまの子ちゃんはセーターを編むのが上手になりました。
 あまり上手に編むので、他のくまからも頼まれるほどです。
 でも、ひつじのセーターはもう編みません。
くまだけです。
 それとね、くまの子ちゃんのセーターは、胸のところが白い毛で編まれています。月のような白い模様に。
 それが、誰にも真似できない、くまの子ちゃんのセーターです。


 お話しおしまい。


 あれからひつじさんとはどうなったのか、ですって?
 大丈夫。二人は今でも仲良しですよ。

 かけ出していってしまったくまの子ちゃんが心配になって、ひつじさんの方から訪ねてきました。その時はくまの子ちゃんも、まだ話せる気にはならず、黙っていました。
 「なんだかごめんね」
といって、ひつじさんはすごすごと帰っていきました。
 本を借りっぱなしにしていたくまの子ちゃんは、それでも返さなくてはと、だいぶ時間がたってからひつじさんを訪ねていきました。
 最初はもじもじと、しまいにはお互いに、

 「ありがとう」
 「ごめんね」
といって、すっかり元の仲良しに戻りました。

 ひつじさんは、なんだか前より素敵になったくまの子ちゃんが悔しくて、今は懸命に自分で自分のセーターを編めるように頑張っている最中です。
 くまの子ちゃんはそんなひつじさんを、やさしく、時には喧嘩をしながら励ましています。
 恨んだこともあったけど、あの時本音をもらしてくれたひつじさんのおかげで気がつくことができたんですもの。
 それをちゃあんとね、くまの子ちゃんはわかっているみたいです。


 ほんとに、おしまい。

世界はここにある

世界はここにある。
私はここにいる。
どんなに知識をかき集めても、私の頭で理解できることには限度がある。諦める訳では無いが、日々を生きていく上で、知識は日々増大していくのだから、私がそこに追いつくことはないだろう。だから、私がはっきりと確信し、自覚できることは「世界がある」ことと「私がいる」これだけだ。
誰かが見ている夢かもしれない。誰かの中にある意識の一つにすぎないかもしれない。それでも、私の意識が続いているうちは、私はここにいるし、世界はあるのだ。
わかるうちの中で、私は、私の真実を打ち立てようと思う。
世界には私だけではなく、約70億人の人が住んでいるという。そんな数字はただの書き換えられていく知識にすぎない。私が生まれて此の方、私の記憶にある人達が私にとっての他人である。触れて確認はできるが、その人達の思考を覗きみることは叶わない。せいぜい、共に過ごした日々の断片でしかない。そしてその人達はその人達で、それぞれにそれぞれの理を持って過ごしている。その証明は、いつでも私にはない想定外の考えを私に提示することで、私の妄想によるものではないといえる。
そういう意味でも、私の真実が誰かの真実になることはないと思う。それでも、私は自分のわかることの精一杯で、自分にとっての真実が打ち立てられればと願う。
ソクラテスはいう。「いくつかの基準は絶対で、いつでもどこでも当てはまる」と。私は、基準に絶対などなくて、いつでも社会に内包されたものだと考える。だからまずは対比しながら、本当に「いくつかの基準は絶対で、いつでもどこでも当てはまる」のかを検討していく。
その前に私の考える「絶対」について書いておこう。
私の「絶対」は、繋がる生命においては絶対だと考えている。生命を「意思」と置き換えてもいい。
宇宙の始まりを考える時、デモクリトスがいうように、無からは何も生まれない、何もなくならないと私も思う。分割できる最小がどこにあるのかもわからないままだが、最小はある。例え0に近い最小でも、値が0になることはない。バラバラになった先で、何が起こるのか。「繋がる」のだ。物質が意思を持って繋がる。デモクリトスは、魂の原子があると考えたが、私は意思(もしくは感情)も光のような物質として存在するのだと考える。
神社や神殿など、多くの祈りが捧げられてきた場所で何かを感じることがある。大切にされた家や物にも、何かを感じることがある。別の物質として意思もしくは感情が存在していると考えれば、そうした事象から、そう考える方が理に適う。
この、「意思」そのものが生命を生む。意思は、「繋がる」と「生きる」しかないとしたら。もしくは、生きる意思に動くと繋がり、死ぬ意思になると離れるのか。逆もまた然りで、繋がる意志が生きるになり、離れる意思になると死ぬのか。これはまだ考える余地があるものだ。
そして、この意思によって、宇宙は収縮と膨張を繰り返す。何と何が繋がるのかはその時の意思次第なのだから、その時、その時で未来は永劫に変わり続ける。しかし、この意思や最小の原子は永遠に残り続ける。
絶対があるのだとしたら、この「意思」だと考える。(意思を「神」に置き換えてもいい。言葉はわかりやすさの説明でしかないのだから、その時、その時代、その人の一番解釈しやすい言葉を当てはめればいい。言葉の向こうにある概念さえ理解されるなら記号は何でも構わないのだ。)
ソクラテスへ話を戻そう。
感覚が生きるための正しさを示すとしたら、理性は社会で生きるための正しさを示す。
なぜこんなことを考えたのか。
赤ん坊はまだ理性を知らないと思えるからだ。にも関わらず、生きる上において正しい方へ、生き残るための方法を自らとるように思う。まだ理性が発達していない人間が、すべてにおいて間違うわけではないのは、感覚が、生きるための正しさを補っているからではないかと考えたのだ。
では、理性でいう正しさが求められるのはどこでかと問えば、社会においてだ。この、社会で生きていくための正しさに、絶対いつでもどこでも当てはまる何かを想定しても、その社会が求める正しさはその社会によるのだから、やはり理性における正しさは求められない。
絶対いつでもどこでも当てはまる正しさは個の感覚にあり、理性が発達するほど社会に依っていくのだから、プタゴラスの「正しいに絶対的な基準などない」とする考えも、ソクラテスの「いくつかの基準は本当に絶対でどこでも当てはまる」とした考えにも肯ける。プタゴラスのいう「絶対的な基準がない」正しさは理性にあり、ソクラテスのいう「絶対でどこでも当てはまる」正しさは感覚にある。
理性とは、感覚によるものを言語化していく過程で養われる。そして理性とは、言語化されることにより世代を超えて「確かな知」として蓄積されていくものだから、人の命と文明が続く限り残り続けるものだ。感覚は個の肉体に付随するものであるから、形を変えて分散していく。だからおよそ人の感情や想いや感覚の衰退は、多少の違いこそあれ似たり寄ったりなのだ。意思は、散り散りになった物質に付随していくのだろう。
私の考える「正しさの性質」はこうだ。
片側に「生かす」があって、片側に「殺す」があると想定する。ベクトルでいえばどちらに向かって動くエネルギーなのか、であり、その方向によって正しいのか正しくないのかを感じとる。
それぞれの正しさは複素数のような盤面にあり、それぞれの点で自由にそのエネルギーを発している。「生かす」と「殺す」と書いたが、「光」と「闇」、「喜び」と「怒り」、「生」と「死」でもいいだろう。そのエネルギーがどんなものであれ、恨みや妬みや憎悪であろうが、生かす方向にベクトルが動いたなら人は正しいと認識するのではないか。
ソクラテスはさらにいう。「正しい認識は正しい行いにつながる。間違ったことをするのは、それがあまりいいことではないと知らなかったからであり、もっとよく知ろうとすることは大切である。頭をはたらかせる能力は自然に備わったものであるのだから、人は理性(頭脳)を使えば真実を理解できる。その真実は自分の中から取り出されるものであり、自分の中から生まれた知だけが本当の理解である。」
個々の真実は、きっとソクラテスのいうように、それぞれがそれぞれに導き出すものなのだろう。導き出されたその知恵により、現在の社会が成り立っている。
より知りたいとする心は正しい。
理性を用いて考えることは正しい。
感覚からその理性を用いて言葉にできた時、より理解は深まるのだろう。そして共有することにより、社会はより正しい方向へと進むに違いない。

春風のおくりもの

 

 ザァと強い風が吹きました。
 大ちゃんの家の前にある桜並木の花びらが一息に散っていきます。
 お母さんが言いました。
 「あ〜ぁ。間に合わなかったわね。残念」
 窓から入ったピンクの花びらが、黒いランドセルの上に乗って、とても綺麗でした。
 それを見ながら大ちゃんは思いました。
 (なにが、まにあわなかったんだろう)
 大ちゃんは、明日から一年生になります。
 さっきのピンクの花びらがランドセルと一緒に光っているようにみえて、大ちゃんはおじいちゃんを思い出しました。
 おじいちゃんは田舎に住んでいます。毎年、夏になると家族で「おはかまいり」に帰ります。このランドセルは、その時に買ってもらいました。おじいちゃんはとても嬉しそうに、ランドセルを背負った大ちゃんの頭を、ぽんぽんと2回、撫でてくれました。
 大ちゃんは、桜の花びらが、あの時の自分のようにみえました。だから、ぽんぽんと2回、ランドセルごと撫でました。

 

 入学式も終わり、大ちゃんは桜小学校の一年生になりました。
 今までは、幼稚園の先生とお友だちがそばにいたのに、全く知らない「せんせい」と「おともだち」ができました。
 大ちゃんはピカピカのランドセルを背負って毎日、幼稚園に通うのだとばかり思っていたので、これはとんだことでした。
 今は毎日、「がっこう」へ「おにいさん」と「おねえさん」とよばれる人たちと一緒に行きます。
 今まではどこへ行くのもお母さんと一緒だったのに、お母さんは学校まで送ってくれることも迎えに来ることもやめてしまいました。大ちゃんはお母さんがなまけていると思いました。大ちゃんの面倒をみるのが嫌になって、代わりに送ってくれる人へお願いしたのだと思いました。

 だって、毎朝、待ち合わせ場所へ迎えにくるおにいさんとおねえさんにお母さんは頭を下げて、
 「お願いします」
と言うからです。
 お母さんは大ちゃんにも、
 「お願いしますは? 」
と聞きます。
 そう聞かれる度に、大ちゃんは
 (お母さんがさぼってるのに! )
と思います。

 帰りは、大ちゃん1人で帰ります。おにいさんもおねえさんも、まだ学校で勉強をしなければいけないからです。

 大ちゃんはまだ小さいので、長い時間、学校にいてはいけないらしいのです。
 これも、大ちゃんの気に入らないひとつでした。
 幼稚園では一番上のお兄さんだったのに、小学校へ入ったら一番下にされたのです。今までは大ちゃんが面倒を見る側で、小さい子たちの手を引くのは大ちゃんの方でした。今は、大ちゃんが小さくて、手を引かれているのです。

 

 大ちゃんは、わからないだらけの中で、
 (なんてひどいところに追いやられてしまったんだろう)
と思っていました。
 桜並木もすっかり花をおとし、花びらも、道の端の方へ追いやられています。
 すっかりしょげかえってしまった花びらが急に憎らしくなって、大ちゃんは、ガザァーガザァーと滑らすようにして地面に落ちた花びらを蹴散らしていきました。
 そんな大ちゃんの背中を押すように、ザ、ザザァーーーッと突然、強い風が吹きました。
 「うわぁっ」
足元から桜の花びらがグルグルと舞い上りあっという間に去っていきました。
 大ちゃんは知らない間にペタンと尻もちをつき、花びらと去っていく風をみていました。
 八つ当たりを叱られたというよりも、大ちゃんとどちらが花びらをまき上げるのが上手いか、風が勝手に競争を始めて、置いてけぼりをくらったようでした。走っていく男の子の後ろ姿がみえた気もします。
 目をこすって立ち上がると、大ちゃんはなんだか笑いたくなってきました。
すっかり元気になって、走って家へと帰りました。

 家に帰ってから、大ちゃんは被っていた黄色い帽子がなくなっていることに気がつきました。

 (風の奴が持っていったんだ)
 大ちゃんはそう思いました。
 お母さんにもそう言ったのに、
 「落としたんでしょ」
と信じてくれませんでした。
 大ちゃんはもう二度とお母さんと口を聞くもんかと強く思いました。
 夜、寝るときに、歯も磨くもんかと思いました。
 美味しいご飯を食べたら忘れてしまいました。
 でも、歯は磨きませんでした。

 

 大ちゃんはランドセルの中に桜の花びらを詰めるだけ詰め込んで、桜だらけの道を歩いていました。
 黄色い帽子を被った空色の男の子が、口笛を吹きながら大ちゃんの傍へとやってきて、
 「やあ」
と言いました。
 大ちゃんは、
 「お願いします」
と頭を下げました。
 するとお母さんがランドセルの中からこう言いました。
 「間に合わなかったわね」
 大ちゃんは急に不安になって、ランドセルの中身をぶちまけました。桜の花びらがグルグルと空を昇っていきます。
 すると、桜の花びらに乗った男の子がニッコリ笑って言いました。
 「上手いじゃないか」
 大ちゃんは嬉しくなりました。そうして、
 「僕も桜の花びらに乗りたい」
と言いました。
 空色の男の子は、
 「こうだよ! 」
と、次から次へと桜の花びらから花びらへ飛び移っていきます。
 大ちゃんも負けじと後を追いかけました。
 やっと追いつけると思ったその時、足を踏み外して真っ逆さまに落ちていきます。

 サァーと風が吹いて、大ちゃんはいつの間にか男の子と空を飛んでいました。
 下一面に広がる桜は、それはそれはとても綺麗でした。
 地面へと下りて、男の子は手に持った黄色い帽子を大ちゃんに渡しながら言いました。
 「遊んでくれてありがとう」
 大ちゃんは、
 「もう君にあげたものだから」
と、男の子の頭にのせてあげました。
 嬉しそうに一回転して、男の子は空と見分けがつかなくなりました。

 

 朝でした。
 起きたら、口の中が気持ち悪かったので、今度からは歯は磨いて寝ようと大ちゃんは思いました。
 窓の外では、桜並木が黄緑色になって、キラキラと輝きはじめました。
 大ちゃんは、元気よくお母さんに
 「おはよう」
と言い、迎えに来てくれたお兄さんとお姉さんにも
 「お願いします」
と挨拶して、小躍りするように出かけていきました。

 木々の間を優しい風が吹いていき、大ちゃんの頬を、2度、撫でていきました。