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私を引き止めたもの

今日、死にたいと呟く人の言葉に立ち止まった。
あの頃の自分を思い出して、痛くなった。
そうして、あの時私を引き止めたものはなんだっただろうと、考えていた。

また。

ほんとはずっと考えている。あれからずっと。

 


「わからない」だ。

私を引き止めたもの。


今から20年前の二十歳前後の頃のこと。

毎日、毎日、「死」について考えていて、生きるってなんだろう、死ぬってなんだろう、意味はあるんだろうか、あるとしたらどんな意味が?ないとしたら?死んでみたらわかるだろうか。死んでみたい。
そんなことを考えていた。
引きずられちゃったんだ。憧れた文学上の人達は自死する人ばかりだったし。
将来を考えても、過去を考えても、苦しいことばかりで、死んでもいいやと思ってしまった。死んでも世界は回っていくし、親も親戚も知人も悲しむのはきっと一時だし、他人に興味がある人なんて本当の意味ではいないしつまり私が死んでも生きてても関係ない、と思っていた。
そんな時、話したことのないクラスメイトが事故死したと耳にした。
自分が考えていた「死」ではない、「死」。外からの「死」。悲しくはないけど動揺したのを覚えている。ここに死にたいと思う人間がいて、死にたくなかったであろう人間が死んでいく。
途端に、自分が出した結論に自信がなくなった。というか、違う「死」への考察がみえてね。「わからなく」なった。
もう少し生きてみようと思っているうちに、父が病気になり、実家に帰る私と転勤する彼と互いに遠恋は無理と、あれよあれよという間に婚約結婚妊娠して、父が亡くなる。この間わずか一年足らず。
また、「死」がわからなくなった。
悲しくてたまらなかった。20年を経た今も、父を思えば悲しくてたまらない。悲しむのは一時だなんて、そんなことなかった。私が生きてる限り、父の死は悲しいし、寂しい。同じように、思い出せば暖かくて嬉しくて懐かしい。言葉は思い出と共にあり、笑顔も温もりも私と共にある。死んだ父をありありと感じる。死は悲しいだけじゃない。

 

あの時の答えとはずいぶん違う。同じ私から出てきたものなのに、ね。

わからないもんだ。

答えなんて。
今、結論づけたことも、未来はわからないんだ。実感を伴ってそう思う。

そして、私以外の人は、また私とは違う答えを持っているんだろう。同じ私の中から様々な答えが溢れてくるんだから。
命を紡ぐって凄いよね。わからない余白がさ、いつだって未来を模索して、進化させていくんだ。
私にはわからない。
けれど、私じゃない後のものには、わかる時がくるかもしれない。

だから、いつ死んでもいいけど、なるべく多くの答えを残していきたい。

「わからない」と言いながら。

いつ死んでもいいように、考え続けるだろう。

「わからない」に希望をのせて。

 

あなたを引き止めているものはなんですか?