柊の連れてきたもの

〜大ちゃんの贈り物シリーズ 2〜

 

 

 風がびゅうびゅう吹いています。
 学校の帰り道、小学一年生の大ちゃんはとぼとぼと歩いて帰ります。
 朝は、大きいお姉さんやお兄さん達と一緒に登校するので寂しくありません。霜柱をパリパリさせたり、水たまりの氷を持って向こうを眺める楽しみもあります。
 帰り道はひとりです。けれど、春は桜の花びらで遊ぶこともできます。夏は木登りをしたり、虫を探したりと忙しいくらいです。秋は綺麗な落ち葉や木の実で遊びます。だからつまらなくなったりはしません。
 でも、冬はダメです。霜柱も氷も朝のうちだけで、帰る頃には溶けてしまうからです。いつもは遊び相手をしてくれる木々も草花も、ひっそりとしてしまって、大ちゃんの相手をしてはくれません。落ち葉も溶けた霜がぐっしょりびちゃびちゃにしてしまうので、冬の間はあまり楽しい遊び相手とは言えませんでした。風だってなんだかいじわるになって、今もびゅうと吹くと早く家に帰れと急かすのです。
 大ちゃんはそんな風の言うことを聞くのも嫌で、後ろを振り返るとにらみつけてやりました。
 すると、風は怒ったのかさらにびゅううとうねり、大ちゃんに向かって何かをぶつけました。
 「いたっ」
 まともに顔にぶつかって、大ちゃんは思わず声をあげました。足元をみると、ギザギザの葉鍵がついた柊でした。から豆も束になっているのをみると、どうやら節分のお飾りのようです。

 

 今朝、お母さんがお家の玄関に飾っているのをみました。鬼がやってこないように飾るのだそうです。

 幼稚園に通っていた頃、色々な鬼がきては大ちゃん達を追いかけ回していく日が節分でした。一所懸命に豆で退治して、小さい子を守るのが大ちゃんは誇らしかったので、
 「そんなのなくても、僕がやっつけてやるよ」
と言ったら、お母さんは笑いながら、
 「ありがとう。でも、大ちゃんが学校に行っている間に来られても困るでしょう」
と言いました。大ちゃんは、そうかと納得すると、
 「じゃぁ、帰ってきたら僕が守ってあげるね」
と、勇ましい気持ちで家を出たことを思い出しました。

 

 大ちゃんは、
 ( そうだ、早く家に帰らなきゃ )
とその柊を拾おうとしました。

 するとまた風が吹いて、大ちゃんのいる先へと落ちました。慌てて柊を追いかけて捕まえようとするのを、ひらりひらりと交わされて、大ちゃんはなんだか意地になってきました。
 絶対に捕まえてやる! と、追いかけているうちに、林の中へと入り込んでしまったようです。
 帰り道も柊も、落葉にまぎれてどこにあるのかわからなくなってしまいました。
 大ちゃんは、急に心細くなりました。泣きべそをかきたくなったら、正面から風が強く吹きつけて、それをぐっとこらえた時です。
 「いたっ」
と、どこからか小さな声がしました。
 「誰?」
と大ちゃんが声をかけても返事はありません。

 まるで木々までが息をひそめて見つからないようにしているみたいです。
 もう一度、大ちゃんは、
 「誰かいるの?」
と、声をかけました。驚かさないように、なるべく優しく聞きました。それを台無しにするように、風がびょおうと吹きました。

 また、
 「いたい、いたい! 」
と声がして、ひときわ大きなブナの木の後ろから、小さな影が飛び出しました。
 大ちゃんより頭一つ小さい子供でした。
 よく見ると、もじゃもじゃの髪の毛に柊がからみついて、まるで格闘しているようでした。
 大ちゃんは、
 「待って。とってあげる」
とその子に近づくと、暴れないでと言いながらゆっくりとほどいてやりました。もじゃもじゃの髪の毛から、にゅっと耳が突き出ているので、棘が当たらないようにするのは一苦労でした。最初はバタバタしていた子も、そのうち大ちゃんのされるがまま、じっとしてくれました。
 「君も柊を追いかけてきたの? 」
と聞くと、
 「おいらは追いかけられてきた」
と言います。不思議なことをいう子だなと思っていると、
 「これ、お前の柊? 」
と聞いてきました。それで、大ちゃんは、早く帰らなければいけないことを思い出しました。この柊が大ちゃんの家の柊なら、今頃お母さんは鬼に追い出されてしまっているかもしれないのです。

 柊も取れたので、
 「僕、帰らなきゃ! 帰り道、知ってる? 」
と質問には答えずに聞くと、その子は口を顔いっぱいに広げて、
 「じゃぁ、今度はお前と追いかけっこだ! 」
 そう言うが早いか、たっと駆け出してしまいました。
 大ちゃんは思わず、柊を持ったままその子を追いかけました。
 「待ってよー」
 小さいくせに身の軽いその子は、大ちゃんの鼻の先で、からかうようにあっちへ行ったりこっちへ行ったりします。なかなか捕まえられない大ちゃんは、
 「帰り道を教えてほしいだけなんだってば」
と乗り気じゃなかったのに、そのうち楽しくなってきました。
 全身がぽかぽかしてきて、暑いくらいです。そこで大ちゃんは、

「ちょっと、たんま」

と言うと、身につけていたマフラーと手袋を、背負っていたランドセルにしまおうとしました。
 いつの間にかそばにきた小さな子が、興味しんしんでそれを見ていました。大ちゃんは、ふと、短パンで長シャツ一枚のその子がとても寒そうなことに気がつきました。だから、
 「貸してあげる」
と、その子の首にマフラーを巻いてあげて、手袋を両手につけてあげました。
 「あったかい」
とその子はくすぐったそうに笑いました。
 大ちゃんもなんだかくすぐったくなって、ふたりで顔を見合わせて、うふふと笑いました。
 その子は、大ちゃんの手をとると、
 「こっちだよ」
と言いました。
 「追いかけっこはもういいの?」
と聞くと、
 「もう捕まったから」
とその子は言いました。
 大ちゃんは、あれはたんまの最中だったからなしだよと言おうとしましたが、嬉しそうにしている子をみてやめました。
 小さな子に手を引かれて林の中を歩いていると、大ちゃんはなんだか心まであったかくなるようでした。
 林を抜け出ると、いつもの通り道でした。
 もう少しその子と一緒にいたかったから、大ちゃんは、
 「うちにおいでよ」
と誘いました。
 小さな子は、目を2回しばたくと、ふるふると首を振って、マフラーと手袋を返そうとしました。大ちゃんは、
 「それ、着けてていいよ」
と言いました。それから、
 「また遊ぼうね! 」
って約束すると、その子はコクンとうなずいて、林の中に走っていってしまいました。姿の見えなくなる手前で、一度、ぴょんと飛び跳ねたように見えました。
 大ちゃんにはそれが、
 「ありがとう」
に聞こえました。くすぐったくなって、大ちゃんはひとりでうふふっと笑いました。
 それから、走って家に帰りました。
 手には柊を持って。
 カラカラとから豆を鳴らしながら。

 

 家に着くと、玄関には朝と同じように柊が飾ってありました。そうするとこの柊はどこから来たんだろうと、大ちゃんは首をかしげてしまいました。
 お母さんが玄関まで出てきて、
 「おかえり、遅かったじゃない」
と言いました。大ちゃんはただいまも言わずに、柊を渡しました。
 お母さんは、
 「これどうしたの? 拾ったの? マフラーと手袋はどうしたの? 」
と質問攻めにするので、
 「ただいま! 」
と元気よく答えました。
 お母さんは、まったくわけがわからないとぶつぶつ呟きながら、
「そんな大ちゃんの心から、話すのを面倒臭がる鬼の子を追い出してしまおう」
と言うと、豆を取り出しました。

大ちゃんも負けじと、
 「おかあさんの聞きたがりも! 」
と、テーブルの上に用意してあった升を手に持ちました。
 ふたりで部屋を駆け回りながら、互いに、
「オニはーソトー」
と豆をぶつけていると、お父さんが、
 「ただいまー」
と帰ってきました。
 それから3人で玄関口へ出て、
「福はー内ー」
と外から中へ、パラパラと豆を撒きました。
 お母さんが門からも福は内をしようと言いながら通りへ出ていき、
 「大ちゃん! 」
と、大声で呼びました。
 何事かと思ってお父さんと慌てて見に行くと、大ちゃんのマフラーと手袋が丁寧に畳まれて塀の上に置かれていました。
 「誰かが届けてくれたのかしら? 親切な人がいて良かったわね」
とお母さんは言ったけど、大ちゃんはあの子だと思いました。
 きょろきょろと辺りを探しましたが、どこにも姿は見えませんでした。大ちゃんは、がっかりしました。返しにきたことで、もう遊べないような気がしたのです。あの子が寒そうにしていないか、心配にもなりました。返してくれなくて良かったのにと強くそう思いました。
 升の中にある豆の残りを全部握り、門の外へ向かって、
 「福はー内ー」
と力の限り叫びました。
 それを見ていたお母さんが、
 「福はお家に向かって投げて」
と言いました。
 お父さんが、大ちゃんの頭に手をひとつ置いて、
 「お家に入ろうか」
と、優しく言いました。お母さんはまだもごもごと言い足りないようでしたが、お父さんがお母さんの背中に手を回して、お家へ連れて入りました。
 大ちゃんは、さっき拾った柊を持って出ると、マフラーと手袋が置いてあった場所へそっとのせました。

 冬にはない風がふわっと吹いて、庭から梅の香りが微かに漂うと、から豆がカラカラ鳴りました。
 どこかで、あの子がぴょんと跳ねたような気がして、お家に入る手前で大ちゃんもぴょんと飛び跳ねてみました。
 それから、そっと玄関を閉めました。

仲良くするってなんだろう

うちの家族は仲が良い。それは互いに別な考えを持っているから、違う考えの話に触れる時は、「へぇ」で流していく。興味を持った時だけ食いつく。相手の意見よりも自分の意見を述べて満足する←たまに聞いて貰えないことの多いコトが「ルサンチマンだっ」と怒る。最近覚えたルサンチマンを言いたいだけだったりする。
私の実家は、仲は良かったんだろうけど、居心地は悪かった。多分、自分の意見が自由に言えなかったから。←正しいこと。崇高な志であること。後ろめたい気持ちのないことだけが認められるから、清水に棲む魚のようで苦しかった。親は、自分達の濁になる部分をどう受け止め流していくかの答えを、とにかく感謝と謙譲に求めたんだと思う。古来よりの道徳や献身が身を助けると思っていた。でも行動が伴わなくて、苦しんでいるようにみえた。「ありがたいねぇ」と言いながら心の中は不満と不信だらけで、「ありがたいと思わなければいけないからありがたいと口にする」ようにしかみえなかった。
確かに、両親が教えてくれた道徳と謙譲は、私の身を助けてくれるものだったし、その心を教えてくれたことは宝だ。でも、心からそう思えるのは、私が不満をきちんと言葉にして、伝えたい相手に届けて、やっと想いを葬ることができたからだと思う。気持ちを手放すとはこうしたことを指すのだろう。不満だけでなく、思ったことの内、本当に伝えたいことを伝えるのが大切なことだと学んでいる。相手に伝える前に、これを言ったら嫌がるか、喜ぶかを、私が決めることではないんだなぁと。いつでも返ってくる相手の想いを受け止めることができればいいんだ。
そうして自らの家庭を築くようになって、私は両親の築いてきた土台の上に、旦那の両親の築いてきた土台を学びながら、試行錯誤を繰り返しつつ自分の家を建てている。
ひとつ見出した答えは、どんな感情も、誰もが自由に発露できる環境を整えておくこと。それには、互いに相手の感情に引きずられそうになるから、共感して欲しい時、助言が欲しい時、共感はいらないから耳から流して欲しい時を細々と伝えることだ。
具体的にいえば、ありがとうとごめんねが潤滑油になる。褒め言葉というよりも、私はそうしてくれた方が嬉しいと伝えておくと、相手もそうしやすい。それだけの話が難しく感じるのは、自分自身を掴みきれなかったりするからだ。何が嬉しく、何が嫌なのか、その時々によって変わってしまうことなら、流してしまっていいんだなぁって。互いに楽しみながら流せるならそれが一番いいよねぇ。
結局は、感謝と謙譲になるんだけど、そこに至るまでの過程を大事にすることだったんだなと今は思う。先に感謝と謙譲を目指して歩くのではなく、結果としてそこに感謝と謙譲があったらいいねなんだろう。
同じでなければいけないではなく、同じを目指すのでもない。空間を共有するには、それぞれの居心地の良い場所があるのが前提で、境界線をある程度設けておいた方が生きやすいんだろう。きっちり、はっきりしすぎても苦しくなるのは、変化に対応できなくなるから。なんとなくの曖昧さが、葛藤と面白さと楽しさの生まれる場所になる。
仲良くするっていうのも、互いの居心地の良さが確保できた場合に訪れる幸いであって、目指すものではないのかもしれない。

お月様の話してくれたこと

 夜も寝静まった頃、オレンジピールのようなお月様が顔を出した。

 私に見つかって、驚いたようだ。
 なぜって、なんだか鼻がもぞもぞと動いたから。
 私も、お月様に見つかって、なんだかバツが悪かった。
 なぜって、誰もが寝ているはずの深い夜で、もし起きているとしたら用のある人であるからして月なぞ眺めてはいないのだ。
 だから互いに、はにかみながら挨拶を交わした。
 「こんな時間に空を眺めている人がいるとは思わなんだ」
 「お月様もこんな時間に起きてこられるなんて、私はてっきり、もう西の空へとお休みになられたのだとばかり思っていましたよ」
 「月なのだから、いつ夜を歩いても咎められる覚えはないな」
 確かにそうだと思いはしたものの、もう少し嫌味を言いたくなった。
「たまに昼間も出歩いていらっしゃいますよね」
 コホンと小さく咳払いをすると、お月様は誤魔化すように、
 「眠れぬようだから、お話をしてあげよう」
と仰った。
 「何がいいかな。兎が穴に落ちた話がいいか、空飛ぶ絨毯で月まで旅した男の話がいいか」
 両方知っていると答えたら、こんな話をしてくれた。

 


 「昔、お前のように、どんな物語でも知っていると話してくれた男がいたな。
 その男は、そのくせ、自分の知らない、まだ聞いたこともない物語を求めて歩いておった。
 そうして、誰彼に聞いては「知っている、読んだことがある」と全てを聞かずに耳を塞いでしまい、首を振るのだ。
 そんな男を憐れに思うものもたくさんいて、こんな話はどうだ、これならどうだと、あらゆるもの達が話を聞かせようとした。が、終いには誰も相手をしなくなった。
 それはそうだろう。
 見ようともせず、聞こうともしないものに、持ち合わせる言葉など誰も持たないのだから。
 野に咲く花々も、底まで透き通る湖も、気高き山々も、黙して語ることはしなくなった。
 太陽を除いてはな。
 なにせ太陽という奴は、どんなものにも光を与えなければ気が済まないときているものだから、こう男に話してやったんだ。
 「深い深い夜に棲む、月のところへ行ってごらん。あいつはこの世界が始まった時より、多くのもの達の囁きを耳にしているはずだから、きっとお前の知らない物語も知っているだろう」
とね。
 なぜそれをわたしが知っているかって?
 その男が話してくれたからさ。隅々に渡ってね。太陽の話した言葉も、一言一句間違いなしに話してくれたよ。
 わたしは、その男の話を最後まで静かに聞いてやった。男の気の済むまで、ただただ静かにね。男の知っている物語もあますところなく聞かせてもらった。いや、なんとも楽しい夜日々だった。ちょうど千一夜目だったろうか。男の話が終わったのは。喋り尽くして話すこともなくなったのか、彼は今の君のようにひたすら私を眺めていたよ。
 だからわたしは言ったんだ。
 「なんとも楽しい物語の数々をありがとう。これで寝物語がまた増えた。本当に面白い話ばかりだったよ。最後に君自身の物語を聞かせてくれないか。特にこれからの物語を。まだそれは聞いていないと思う」
とね。
 彼はむくりと立ち上がると、
 「僕の物語だって?」
と言いながら去っていってしまった。
 あれから彼には会っていないが、きっと、またいつか話にきてくれるだろうさ。他のもの達と同じようにね」

 

 

 お月様が話終えると、私は深々と反省をした。だから頭を垂れてお願いをした。
 「私の知っている千一夜物語の空飛ぶ絨毯の話とはだいぶ違っていたようです。穴に落ちた兎の話も聞かせて頂けないでしょうか」

 

「初夢ならぬ、年末の夢」

 それは白昼夢だった。

 旦那と楽しく語らいながら自転車を走らせていると、突然、傍らにそいつがやってきた。
 「死神です」
と丁寧にお辞儀をする。
 旦那は気がついていない。
 私はすぐに、頭の中の妄想が始まったのだと思った。なぜなら、私は旦那と全く違う話で盛り上がっているのだから。
 「確かに、クリスマスに食べたローストポークは美味しかったね」
と旦那に答えつつ、(おいおい、私、大丈夫か?)と軽く頭を振った。死神と名乗る奴は気にする風でもなく、勝手に話を進めていく。
 「私のことは誰にも話せません。また、あなたをいつ連れて行くのかもお教えできません。やり残したことはございませんか?」
と言い終わると、静かな笑みを称えているばかりだった。
 少しこの妄想に腹が立ったので、旦那に話して終わらせてやろうと思った。
 「世間じゃチキンなんだけどな。さすがに食べすぎたから、正月に肉はいらないな」
と旦那はまだローストビーフならぬローストポークの話をしている。私はおもむろに切り出した。
 「全然話は変わるんだけど、もし突然、……突然……。思いついた話があるんだけどさ、奇妙な奴が突然……」
 言葉が継げなくなった。
 催眠術にかけられた人をテレビで観たことがある。
 「あなたは今からトマトと言えなくなります」
と術師にひゅっと言葉を吸い取られる仕草をされた後、
 「これは何ですか?」
とトマトを指されても、口を開けるばかりでその先が出てこない。
 そんな状態だった。
 「え? なに」
と、旦那は振り返った。
 私は自分の妄想した死神と名乗る奴に、つまり自分で自分に術をかけてしまったようだ。自分の妄想を睨み据えながら、
 「吸血鬼! 」
と叫んでみた。言えた。旦那はわけがわからない顔で、
 「は? 」
と問うてくる。
 「だから〜、突然、私は吸血鬼ですって言う奴が現れたら信じる? 」
 誤魔化すように次穂した。この手の話は旦那も好きだから、わけなく誤魔化せたようだった。旦那は、肉の話など忘れて答える。
 「信じない」
 「だよね〜。じゃぁ、悪魔だったら? 」
 「なんか証明してみせてよっていう」
 私はこれみよがしに、死神と名乗る奴へと視線を投げた。奴は静かに笑っているままだ。
 すると私は勝手にこんなことを旦那に話していた。
 「証明はできませんっていうの。でも、オーラが違う」
 私は、はっとして死神と名乗る奴をみた。しっかりと。
 「オーラ? どんな格好をしているの? 」
と旦那が聞く。
 私は、懸命に捉えようとした。けれど、言葉にしようとすると逃げていくようだった。仕方がないから、
 「んー。世間一般の格好はしていないけど、品がいいのだけは解る。だいたい、男なのか女なのか、子供なのか老人なのかもわかんない。ジェントルマン、かな」
と言うと、死神は一礼した。そして、
 「やり残したことはございませんか? 」
ともう一度、私に聞いた。やっぱり品がいい。
 旦那は、
 「なんだ、それ」
と言うと、
 「願いは叶えてくれるの? 」
と聞いてきた。もちろん私になのだが、死神がこくりと頷いた。私は、
 「叶えてくれるけど、いつかはわからないってさ」
と言えば、旦那はまた、
 「なんだ、それ」
と言った。
私は、観念したように、
 「でも、本物だって解るんだよ」
と答えた。
 死神はまた一礼した。
 さっきのは「お褒め頂きありがとうございます」で、今のは「解って下さって幸いです」と言われたようだった。ふと、信じないままの人もいるのだろうか、とか、私には仕立てのいい服を纏っているようにみえるだけで他の人には違うようにみえたりするのかもなと、とりとめのないことが次々に頭を過ぎていった。
 「まず、願いを無限に叶えてもらうようにするじゃん」
と、旦那の声で我に返る。
 「ひとつだけね」
と答えた私に、
 「え〜、なんでダメなんだよ」
と、旦那は文句をつけた。いつもの「もしも〇〇だったら」遊びのひとつだと思っているのだから、それも当然だ。そんな旦那の背を見ながら、私はやり残したことについて考えていた。
 いつかはわからないと言う。
 今、この瞬間に、自転車を滑らせて死ぬのかもしれないと思ったら、慎重になった。スピードがゆるくなり、旦那の声がいつの間にか聞こえないほど離れていた。それでも慎重に、自転車を降りて横断歩道を渡る。そんなことをしてる間に振り返りもせず旦那は行ってしまい、その先の角を曲がったのだろう、姿も見えなくなってしまった。
 私は少しスピードを上げながら、注意だけは怠らずに角を曲がると、そこに旦那が待っていた。いつもなら置いていくなんてひどいと文句を言うところなのだけど、口から出たのは、
 「ごめんごめん、横断歩道を使ったものだから。待たせちゃったね」
だった。
 旦那は、笑って「いいよ」と言った。
 私は死神に言った。
 「ちゃんとありがとうって伝えたい」
 すると旦那は、
 「伝わってるよ」
と言い、死神は、
 「承りました」
と言うと、すぅっと去っていった。
 不思議な、本当に奇妙な出来事だった。

 

 夜、布団に入り、昼間のことを思い返した。あれは、やっぱり私の妄想にすぎないことだったのだろう。ちゃんと「ありがとう」が言えるようになりたいという、私の願望の現れだ。
 「ありがとう」を伝えることは難しい。それは、言葉ではないからだ。
 あの死神が一礼をしただけで、言葉なく想いを伝えたように、ありがとうは細々とした日常に、仕事に、動作にある。
 まめまめしく働きたいなと、だから思った。「ありがとう」を伝えるられるように。
 私の今年の抱負である。
 そして、ちゃんと死ぬ。それまで、死神は待っていてくれるだろう。

「距離感」

 

距離感はヒトによる

1ミリの隙間もなくべったりくっついて、突然300メートルダッシュして、1メートルのところで座って待ってるのが好きな子

とにかく膝の上が好きな子

頭の上?
もありですか


距離感はモノにもある

中間を持つ方が使いやすいモノ

手元を持つのが使いやすいモノ

なるべく遠く離れた方が使いやすいモノ


距離感はモノによる

1メートル離れて観た方が一番キレイにみえるモノ

1キロメートル離れて観た方が一番キレイにみえるモノ

近づけるだけ近づいてようやくみえるモノ

離れているからみえるモノ


わたしの距離感は、どこだろう
相手次第のわたし次第
わたし次第の相手次第
互いに
少しづつ
見つけていけたらいいね

わたしの 「雨ニモマケズ」

にほんごであそぼ

のワンコーナーに、わたしの「雨ニモマケズ」というのがあった。

私も真似をしたくなって、勢いで書いてみた。

私の「ナリタイ」自分がそこにはいた。

これを読んだ人も、遊びのつもりでやってみたら、案外そこに「ナリタイ」自分がいるかもしれない。

 

わたしの
雨ニモマケズ

雨にも悦び
風心地好く
雪にも
夏の暑さにも悦びを見いだせる
健やかな心をもち

無理はなく

怒る時はしっかりと怒り
楽しい時はうんと楽しみ
悲しい時は涙を流し
嬉しい時は笑っている

その日に食べたいものを作り
食べられる適量の
美味しい時を逃さずに食べ

あらゆることを
まずは自分で考え
よく見聞きし
わからないことはわからないと言う
学ぶ心を忘れず

森の奥の小道の先の青い屋根の家に住み
東に行きたければ行って
月が昇るのに心打たれ
西へ行きたければ行って
日が沈むのに心震わせ
南に行きたければ行って
変わりゆく空に心躍らせ
北へ行きたければ行って
鳥の渡りくるを心待つ

いつの時も自分にできることを見失わず
どんな時もできることを精一杯に

みんなに怠け者とよばれ

ホメラレモセズ
クニモサレズ

知らずにみなと笑っている
知らずに種が撒かれている
知らずに芽が育っていく

サウイフ モノニ ワタシハ ナリタイ

 

ある月夜の晩に

 むか〜しむかし。
 わたしは、自分はひとつだと思っていました。綺麗だと思っていたのです。体ではなく、内面が。
 そうしてある日、醜く汚いドロドロしたものを見つけて、絶望したのです。わたしはすっかり、その汚いドロドロした内面が自分の本質なのだと思い込んでしまいました。気がつかなかっただけなのだ。見たくなかっただけなのだと。
 そんな時、空の闇に消えてしまいたい。溶けてしまいたいと願ったのです。
 見上げた夜空にほっそりと、銀色に光るお月様が顔を出しました。お月様はにぃっと笑って、ゆっくりと降りてきました。
 わたしの願いが叶ったのだ。お月様の細い細い先っぽが私の体を貫いた時、この黒いドロドロが噴き出してわたしは闇夜に溶けだすのだ。そう思ったのです。
 その時、わたしの姿がありありと映し出されました。それは綺麗でもなく汚くもありませんでした。そのままのわたしでした。体も含めて、影さえも、わたしはわたしでしかなかったのです。
 お月様はにぃっと笑ったまま、ビルの谷間に静かに潜っていきました。
 それからは、わたしとして生きています。
 輝く太陽のもと、青空をみたら青く、はらはらと舞う桜をみたら桜色に、萌ゆる新緑をみたらあらゆる翠に、そぼ降る雨の紫陽花をみたら青から紫へ、黄金色の稲穂をみたら金色に、山の裾野が変わるのをみたら黄色から赤へ、しんしんと雪の降るのをみたら白く、光に映し出されたままに生きています。
 静かに光る月のもとでは、映し出されることのない影も含めて、わたしはわたしとして生きています。