優しさは返すもの?
昔の私は、貰った優しさを返そうとして、どうしていいのか分からずに焦ってワタワタと変な言動をしてしまうことが多かった。
でも、相手は私から「何か」をひき出したくてしている訳ではないんだと、ある時、気がついた。
その前は、何か目的があると思った方が気が楽になるから、何が望みか探りを入れたりして、逆に相手の気分を害してしまうことばかりしていた時期もある。
その度に自己嫌悪して、その度に自分を責めても、全然、人間関係は上手くいかなかった。
( いや、今も上手くとはいえないんだけどさ。。アハハ
増しにはなったかなぁと思ってはいる←だから書いてんだけど )
そこで、他人に言いたくなる言葉は全て自らに向いていると思うようにしてみた。
過去の私や今の私、未来の私へ向けて、私が私に伝えたがってるんじゃないかって。
( 自分を変えるのは無理だから、思考の最初にある視点をずらしてみたに近い )
そうしたら、私は、誰かの優しさが欲しくて人に優しくしようとしていたことに気がついた。
でも、それは、ただ喜んで欲しいって単純な気持ちから発していたことにも気がついた。
で、相手も同じかもしれないって思うようにしていった。
違う感覚を持っている他人だから同じではない。でも確認のしようがないから、同じかもしれない可能性も違う可能性と同じくらい含んでいる。
自他の境界線を持つことは大事だと言われるけど、境界線が引けるほど他人の情報を持っていないのに、最初から境界線が引けるわけがないんだもの。
私の場合は、同じかもしれないと思った方が行動の決定がしやすかった。
あとは、私ならどういう反応が返ってきたら嬉しいだろう?って考えてみるだけだったから。
ぜーんぶ自分基準に考えるやな奴になったけどね(笑)
いい人になるのが目的ではなくて、最初の「ただ喜んで欲しい」って願望が満たされればいいだけだったからさ。
でも不思議なことに、自分本意のやな奴になったら人も気楽に接してくれるようになった気がする。
( 類友なんだけど、類友以外の人なら距離を置いてお付き合いした方が互いのためになる。そもそも、類友ではない親しい交友関係って最初の段階でどうやって築くんだろう。そして続くんだろうか。脱線するからここでは掘り下げないけど )
そしたら、見返りを求めていない人の方が多いことにも気がつけた。
あぁ、ただ、笑って欲しいだけなんだなぁって。喜んで貰えたら最高なんだなぁって。
そこには誰の犠牲もなくて、笑いたいから笑ってる人達がいた。
優しさは返すものじゃなくて、ありがとうって貰うものなんだなぁって。
嬉しくなったら、また喜ばせてあげたくなる。
湧き上がる感情を満たすために、喜んでくれそうなことで、自分にできることをする。
その連続なんだなぁって。
貰ってくれたらこんなに嬉しいことはないし、どんなことなら嬉しいか聞いて次を考えればいいしね。
( この考える時間がまた幸せだったりする )
いらないって言われたら悲しいし、それまでだけど、昔の私は素直に人の好意を受け取れなかったなって思えば、余計なことしてごめんねって引き下がれるようにもなった。
して貰ったことは返すギブアンドテイクは、人との付き合いでは欠かせない要素だけれど、そこに「喜んで貰いたい」って自分の意思を確認するだけで、儀礼ではない関係が始まると思う。
「喜んで貰いたい」がないなら、それは儀礼の関係だから、冠婚葬祭・マナー本に則って失礼のないように振る舞えばいいだけだもの。
返す優しさなら儀礼で、受け取るだけで喜ばれる優しさには笑顔を。