「太陽の子」(灰谷健次郎 理論社刊)を読んで
「もし、わたしが たった一つ、あなたに語りかける言葉を持つとするなら、あなたの悩みや苦しみは、あなたの父や母、そして、あなたの「生」につながるたくさんの「死」が、同じように悩み苦しんできたということを忘れないように」
「たいていの人間は得手勝手なもんや。おとなのことばでエゴイストっていうんやけど、人間が自分ひとりの欲のために、それぞれ勝手なことをしている世界は、冷たいもんや。……おひとよしは人にだまされたり、損したり、貧乏したり、つまり、ろくなことはないけれど、エゴイストにはない、なんかがあるやろ。なんかいうたらなんやいわれたら困るけど、おれみたいな人間でも生きとってよかったなあって感じるぬくーいもんや。人をはげましたり、人をやさしい気持ちにさせたりするなにかや」
「生きている人だけの世の中じゃないよ。生きている人の中に死んだ人もいっしょに生きているから、人間はやさしい気持ちを持つことができるのよ、ふうちゃん」
「勇気いうたら警察で暴れたりさかろうたりすることやない。けんかして勝つことでもない。勇気いうたらしずかなもんや。勇気いうたらやさしいもんや。勇気いうたらきびしいもんや。……山之口獏……
土の上にゆかがある
ゆかの上にはたたみがある
たたみの上にあるのが座ぶとんで
その上にあるのが楽という
楽の上にはなんにもないのであろうか
どうぞおしきなさいとすすめられて
楽にすわったさびしさよ
土の世界をはるかにみおろしているように
住みなれぬ世界がさびしいよ
……『座ぶとん』
……人間いうたら自分ひとりのことしか考えてえへんときは不幸なもんや。」
「人間いうたらどんなときでもひとりぼっちやとおもとったけど、そやなかった。たしかに人間はひとりぼっちやけど、『肝苦(ちむぐ)りさ』の心さえ失わへんかったら、ひとりぼっちの人間でもたくさんの人たちと暖こうに生きていけるということがわかったんや。」
「自分はおとうさんとおかあさんのあいだに生まれてきた大峯芙由子というひとりの人間だと思っていたけれど、自分の生は、どれほどたくさんのひとのかなしみの果てにあるのかと思うと、気が遠くなる思いだった。」
( 本文より 心に残していきたい文をいくつか掲載致しました。 )
灰谷健次郎さんの言葉は、「生きろ」と呼びかけながら軽くこちらを死にたくさせる。それほど重い。
中学生の頃だったろうか。「兎の目」を読んで、あの時の私も、自分という人間がたまらなく嫌になった。
なぜかという理由は書きたくない。書けば、全てが綺麗事や偽善になる。
そう思わせるほど、自分という存在を消したくなる。
その想いを、あえて、書いてみようと思う。
綺麗事や偽善という自分の醜く汚らしいところを、私の中にあると認める。
人は醜いし愚かだと、まるで自分ではないように書くのではなく、自分が醜く愚かだと書く。
そしてそれを卑下するのではなく、事実あるものとして生きる。
だって汚いし醜いし、愚かだ。それでも、私は生きている。私の存在は、消えない。逃げようとしても、逃げられない事実なのだから。
良いとか悪いで評価されたり価値付けされたりできないのが、生きるってことだ。
そして、自分が汚いことを認めたくないばかりに目を逸らすなら、汚い自分の方がいい。
綺麗でも汚くてもどちらでもいい、そう思った。
大切なのは、大切にしたいのはそこじゃないから。
ちゃんと整理して、これからを考えていきたい。いけるようになりたい。
(この部分、削除して載せようと思った。なぜなら、これは自分だけが知っていればいいことで、みなにわざわざ読んでもらう必要のない部分だからだ。けれど、あえて消さずに残しておく。掲載するまでの葛藤中、多くのフォロワーさんのツイートに励まされた。さらけ出す勇気をありがとうo┐)
「太陽の子」は、沖縄に生まれ神戸で暮らす人々と、そんな父と母をもつ神戸生まれの女の子の話だった。
戦争によって傷ついた人たちがいる。
そしてそれが、尾ひれのように、今も地続きで繋がっている。
それがたまらなく悲しいし、痛い。
沖縄の現状は、基地問題で考えるなら、今も変わらないままある。この物語は1978年に出版されたものだ。それから約40年経ったのに、だ。それだけで堪らなくなった。
そして、オキナワという差別感情が日本の中にあったことを、読むまで知らなかった。
知らなかったということは、少なくとも私の暮らしてきた世界にはなかったということだ。それを、少しは良い方向に変わったこともあると受け取ることもできる。
ただ、オキナワをチョウセンやカンコクに置き換えたとき、いやもっと私の身近なところでいうならテンコウセイやシンザンモノに置き換えたとき、この「太陽の子」に描かれた世界は現実化する。
つまり、人社会は変わっていない。
なぜか。
土地に根付いて生活してきた人の暮らし方がある。新参者は、その暮らし方を教えてもらわない限り、彼らの中に入ることができない。そして、新参者には新参者の、それまでの暮らし方があり、それを一切捨ててしまうことはできない。できないがために、全てを彼らの暮らし方に合わせられない。また、これまでの暮らし方をもってしか、彼らの暮らし方を理解するやり様がないため、教えてもらってもわからないことが多くなる。
彼らは、今までの暮らし方で暮らしているのだから、新参者がその暮らし方に従わないようにしか見えない。また、新参者がいなくても暮らしていかれるがため、新参者を無理して理解しようとしたり、新参者に合わせたりしようとしない。気に入らなければ出てってもらって結構、だからシンザンモノはダメなんだと、平気で切り捨てる。
いつでも、新参者の方が、理解しようとしなければならず、合わせなければならない状況が出来上がる。
この、一方向の力関係が差別だ。
差別は、既存側が、その人の背景を知ろうとしないことから起こる。そして、既存側は、その背景を知る必要性がない。必要性がないから、「郷に入っては郷に従え」と努力を新参者にだけ求めようとする。
本当は、既存側が知ろうと努めない限り差別はなくならないのに。
そうして、既存側は、差別が何かその意味がわからないために、「差別」だと言われても、「区別」だとか、知ってもらう努力はしたのかとか、なんで無理して付き合わなきゃいけないの?と思う。
新参者にしてみたら、知ってもらうには、好きになってもらうしかやり様がなく、ひたすら「役に立つ」ことや「良い人」を目指し、貢献することを知らず知らずに課せられてしまう。
差別は既存社会の問題ではなく、自分にとって好きな人や物事のことだけに理解を示す性が私に潜んでいるからだ。
本当は、関わる全ての人の背景を知ろうとしなければ、すぐに自分自身が差別する側へ回る。
関係性が一方向になっていないか、気を配らなければならないことは疲れる。だから最初から対等に付き合える人と好んで付き合う。つまり、新参者がへりくだる人だと判断した場合、つい嫌煙してしまう。それは、差別のつもりがこちらになくても、新参者にしてみれば同じにみえるだろう。
気をつけてはいても、そういうことをすぐに忘れる。
もっと悪いのは、問題を、社会や人の性にあるよう転化して、個人の、つまりは私にあることを認めない心にある。
あると認めても、苦しさのあまり、自分を嫌いになったり、蔑んだり、責めたりすることで、問題から遠ざかる。あたかも自分が差別について考えているかのように、自分の目を欺いてしまう。
私にあると認める。
苦しさを受け入れる。
すると今度は、ただ理解を示すだけが私にできる最大のことだと知る。
差別に苦しむ人の痛みをただ知るだけで、結局、その人の痛みを取り除く術がない。
私一人がなるべく知ろうとする姿勢を心がけるしかなく、社会に働きかけようとするにもその術がない。
そうして、私の身近な周りの人たちをせめて幸せにするよりないんだと、いつも思う。
沖縄の基地問題は、もっと複雑だ。
オキナワと言われたくないのと同じように、私はヤマトーと言われたくない。
言われたくないが、日本の安全を考えたときに、沖縄から基地がなくなるのを賛成できなくなる。
沖縄が痛みを抱えたままなのを知りながら、
押し付けている。
ヤマトーだ。
思考停止してしまいそうになるけれど、その痛みの背景を知ろうとすることはできる。
尾ひれのように続いている戦争の痛みを、苦しさから逃げるように時代のせいにしたり、仕方なかったこととして片付けない。
沖縄にあったこととそこから繋がる今の現状を、自分に起こったこととそこから繋がる未来に置き換えて捉えてみる。すると、米軍基地が今でもそこにあり続ける痛みの片鱗が少し見えてくる。
そこに、米軍基地がなくなったら生活の糧がなくなるだろうに、とか、お金が欲しいだけだろう、とか、同じ日本人なら全体の安全を考えてみるべきだろう、とか、そういう声を被せると、私の中には怒りが湧く。
沖縄が返還されたときから基地はあり、治外法権としてあり続けた。それでも暮らしていかなければならなかった人々に、共に暮らす方法を考えるより他に何ができたろう。お金を払えばそれでいいのか。日本の安全を同じ日本人なら考えろと言うが、同じだったことはない。沖縄に痛みを押し付けたまま、安全の上に暮らしを立てて胡座をかいてきたのは誰だ。
私だ。私なんだと、苦しい。
その苦しさは、沖縄の人たちの味わってきた苦しさの前で吹き飛ぶ。
そうとはわかっても、日本の今ある安全に組み込まれた米軍基地をなくすことはできるのか。
そこからの知識がない私には判断ができない。ましてや政治家でもない私にできることもない。
知ればただ痛いだけで、心は苦しい。
ごめんなさいと謝れたらどんなにいいだろう。だけど謝ったところで、沖縄に米軍基地がある限り、その痛みは尾ひれのように続いていくのだ。
せめて共に痛めたらいいのに、米軍基地があることで保たれた安全の上で暮らしていくしかない私がその痛みに寄り添おうとすれば偽善になる。
頭を下げる他に思いつかない。
共に日本に暮らす者として、これからの日本の安全をできれば一緒に考えていきたいと願いながら。
痛みを知ることは、自分の今までの暮らし方が変わってもいいことを覚悟させる。
変わらないまま、その痛みに寄り添おうとすることはできないから。
そして痛みを知れば、人として放ってはおけなくなる。何かしてあげたい気持ちになる。それを放って、私は私、その痛みは私のものじゃない、痛みを背負ったものが自分で解決するしかない、と背を向けることもできる。けれど、心は冷たくなる。
それに、本当に痛みを知ると、もう自分が痛い。自分が痛いから、背を向けることも、何もしないでいることもできなくなるのに、できることはほとんどない。
だから、なおさら、人の痛みを知ろうとしなくなる。何もできない自分に失望したくないから。
人の背景を知ることが怖くなる。知っても、できることは何もなく、心だけが冷えていくのを避けるように。
それに、自分の暮らし方もそうそう変えられないし、変わることへの不安と対峙しなければならなくなる。
ここで、境界線を引くことが役に立つ。
自分の痛みと、相手の痛みを混同しないように。自分にできることと、実際に痛みを負った人にできることは明確に違う。
自分にできることは何かを考えられるようになる。
自分にできる限られた中で、一つひとつ模索していく。
すると、知ることが怖くなくなる。
実際に痛みを負った人が、痛みをそのままにすることなく、痛みと向き合っていけるように、見守る姿勢が保てるようになる。
見守るって、結局は、自分の暮らし方を今すぐ変えることなく、相手の暮らし方をゆっくり理解していく時間だ。自然の成り行きに任せるようで、何もしないのと同じにみえるけど、そこで焦らない。焦ればきっと対立するだけで傷つけることがさらに増えるだけのような気がする。かといって変化を頑なに拒むのでもない。
変わるのは、そこへの眼差しだ。
双方にてんでバラバラだった視線を、共に歩んでいけるような未来へ向ける眼差しとなるように、私の視線が変わっていくのだ。
それからだ。
基地がなくなって生活の糧を失うかもしれない人々の背景や、本当に金銭だけで支えられるのか、それが共に歩んでいける未来へ繋がるのか、沖縄も含めた日本に住む人達の安全は基地なしでも現段階で保たれるのか。それらを共に考えていけるようになるのは。
沖縄で何があり、そこに暮らしてきた人々が何を感じてきたのかが啓蒙されていきますように。その時、「太陽の子」に描かれていた沖縄の遊びや、沖縄の人の温かい魂も一緒に、私たちの中で息づいていきますように。
そうしてここに、私のできることを見つける。
もう、その心は、私に根付きはじめているから。
「肝苦(ちむぐ)りさの心さえ忘れなかったら、人は温かく生きていける」
この言葉を、大切に育てていこうと思う。
もう一つだけ。
戦争について書いてあるはずなのに、実は人の心にあるものがありありとしてしまう作品が多くある。この「太陽の子」もそうだった。
戦争を振り返ってみるときに、人の性を見せつけられて、それが自分の中にもあると認めないうちに、「戦争」を考えることはできない。
なぜしてはいけないのか、なぜ起こるのか、それは人の性に大きく関わることであり、自分にあるものとならない限り、起こさないために何ができるのかが、偽善になってしまうからだ。
そして、一人で考えても綺麗事にしかなっていかない。
だから、多くの人の意見や想いが必要なのだと、強く思った。
これは、それを知るための、私の足がかりです。
独りにみえて、独りじゃないよ
小学2・3年生の頃、時間がよくわからなかった。
「なぜ、今日が昨日になって、昨日になる今日が明日にもなるの? 」
曜日も、
「なんで、今日が火曜日なの? 水曜日になることもあるのに?? 」
と、なぜ色々なことが既に決まってしまっているんだろうと、不思議で不思議で仕方がなかった。
目安でしかないことを知らなかったから。
まるで、同じではないものを同じにして、同じだと思うものを別にしているようにみえていた。
だぁれも、分類に必要な視点を教えてくれる人はいなかった。
そしてその視点を教えてくれることがあっても、それはよくわからない誰かのものであったから、理解し難いものだったのは当然である。
たどたどしい口調でそれを、親や兄に懸命に説明しようとしても、
「またおかしなことを言い出した」
って笑うばかりで。
なぜ周りの人は不思議にならず、「そうだ」と理解してるんだろう?
聞いても答えてくれないし、返ってくる答えは全部、そういうことじゃないものばかりだったから、さらに不思議だった。
「なぜ勉強するの?」って問いに、「役に立つから」って答えるのと同じくらいのとんちんかんで素っ頓狂な答えなんだよ。
本当によくわからなかったなぁ。
私の世界に必要のないものは「知っておくべき」というのに、私の知りたいことには誰一人と応えてくれなかった。
私の心にある本質をわかろうとする人はいなかった。そして悲しいかな、私も喋れなかった。
みーんな頭が悪いのかと思っていたら、頭が悪いのは私だという。
ビックリ!(笑)
今はわかるんだよ。通り一般の価値観があって、物の把握の仕様というのもあって、それが楽だから大多数は従ってる。個々では疑問に思っていても。
自分が生きていくのに必要な衣食住を総て一人だけで賄おうとするのは大変だろう。それと同じで、総ての言葉や総ての物を一人だけで分類するのは大変だもの。先人の智慧を借りられるのは大変に有り難い。
でも私の場合は、わかることがないのに、同じも違うも分類などできず、判断できないから従えないに過ぎなかった。
毎回、本当に同じなの?と確かめずにはいられなかったから。
これは憶測だけど、きっと他人も、わかることがない状態で、決まりとなっている分類に従っているだけだ。
従うことで、理解ができるようになる。従わないものには、その世界を垣間見ることも適わない。
わからないのに従えるのは、全面的に信頼できる人や心を聞こうとしてくれる人がいてくれるからだ。
まず「やってみよー」って思えるのはとてもとても幸運で幸いなことなんだ。
従わないこともまた、一つの理解の仕様だけれど、そうして死んでしまう人のなんと多いことだろう。
でも、苦しみながらでも生き続け、従わない方法で世界を理解できるようになる人達もいる。そういう人々は、世界の分類の方を変えてしまうことがあるんだろう。
と、今の私は理解している。
だけど、私の「問い」が消えるわけじゃない。そして今は、これは自分で自分に説明していくしかない類の問題なんだってことを、うすうす感じている。
せめて、この、問いを立てられたなら。
私の秘密
世間の価値観に従いながら、自分の中にある意味の分類をすることを覚えたこと。
それには、自分で考えるより他ない。
Twitterは、本当に有り難い。
読んで下さる人がいて、考えている人がいて、たまに意見を交換して下さる。
聞いて下さるだけで、心は満たされるのに、さらなる思考のひだを与えて下さる。
本当に本当にありがとうございます。
優しさは返すもの?
昔の私は、貰った優しさを返そうとして、どうしていいのか分からずに焦ってワタワタと変な言動をしてしまうことが多かった。
でも、相手は私から「何か」をひき出したくてしている訳ではないんだと、ある時、気がついた。
その前は、何か目的があると思った方が気が楽になるから、何が望みか探りを入れたりして、逆に相手の気分を害してしまうことばかりしていた時期もある。
その度に自己嫌悪して、その度に自分を責めても、全然、人間関係は上手くいかなかった。
( いや、今も上手くとはいえないんだけどさ。。アハハ
増しにはなったかなぁと思ってはいる←だから書いてんだけど )
そこで、他人に言いたくなる言葉は全て自らに向いていると思うようにしてみた。
過去の私や今の私、未来の私へ向けて、私が私に伝えたがってるんじゃないかって。
( 自分を変えるのは無理だから、思考の最初にある視点をずらしてみたに近い )
そうしたら、私は、誰かの優しさが欲しくて人に優しくしようとしていたことに気がついた。
でも、それは、ただ喜んで欲しいって単純な気持ちから発していたことにも気がついた。
で、相手も同じかもしれないって思うようにしていった。
違う感覚を持っている他人だから同じではない。でも確認のしようがないから、同じかもしれない可能性も違う可能性と同じくらい含んでいる。
自他の境界線を持つことは大事だと言われるけど、境界線が引けるほど他人の情報を持っていないのに、最初から境界線が引けるわけがないんだもの。
私の場合は、同じかもしれないと思った方が行動の決定がしやすかった。
あとは、私ならどういう反応が返ってきたら嬉しいだろう?って考えてみるだけだったから。
ぜーんぶ自分基準に考えるやな奴になったけどね(笑)
いい人になるのが目的ではなくて、最初の「ただ喜んで欲しい」って願望が満たされればいいだけだったからさ。
でも不思議なことに、自分本意のやな奴になったら人も気楽に接してくれるようになった気がする。
( 類友なんだけど、類友以外の人なら距離を置いてお付き合いした方が互いのためになる。そもそも、類友ではない親しい交友関係って最初の段階でどうやって築くんだろう。そして続くんだろうか。脱線するからここでは掘り下げないけど )
そしたら、見返りを求めていない人の方が多いことにも気がつけた。
あぁ、ただ、笑って欲しいだけなんだなぁって。喜んで貰えたら最高なんだなぁって。
そこには誰の犠牲もなくて、笑いたいから笑ってる人達がいた。
優しさは返すものじゃなくて、ありがとうって貰うものなんだなぁって。
嬉しくなったら、また喜ばせてあげたくなる。
湧き上がる感情を満たすために、喜んでくれそうなことで、自分にできることをする。
その連続なんだなぁって。
貰ってくれたらこんなに嬉しいことはないし、どんなことなら嬉しいか聞いて次を考えればいいしね。
( この考える時間がまた幸せだったりする )
いらないって言われたら悲しいし、それまでだけど、昔の私は素直に人の好意を受け取れなかったなって思えば、余計なことしてごめんねって引き下がれるようにもなった。
して貰ったことは返すギブアンドテイクは、人との付き合いでは欠かせない要素だけれど、そこに「喜んで貰いたい」って自分の意思を確認するだけで、儀礼ではない関係が始まると思う。
「喜んで貰いたい」がないなら、それは儀礼の関係だから、冠婚葬祭・マナー本に則って失礼のないように振る舞えばいいだけだもの。
返す優しさなら儀礼で、受け取るだけで喜ばれる優しさには笑顔を。
スイカの想い出
「おばあちゃんは、ママのことが嫌いなの? 」
叶ちゃんは、おばあちゃん家の少しざらついた縁側に座ってそう聞きました。
縁側の下で、叶ちゃんの足がぶらぶらしています。
叶ちゃんの言葉に、おばあちゃんはスイカを食べる手を止めました。
セミの声がいっそう煩く耳につき、見上げた空の青さが大きな雲をより白くしていました。
パパのおばあちゃんの家は東京の外れにあります。叶ちゃんの住んでいるアパートからは、車で一時間位のところでした。
叶ちゃんは、うんと小さい頃からパパと離れて暮らしていました。
それでも、叶ちゃんはママと暮らすことに不自由も寂しさも感じたことはありません。
会いたいと言えば、こうしてパパのおばあちゃん家にいつでも来て、パパにも会えるからです。
そして毎回、パパもおばあちゃんも、叶ちゃんに会うのをとても楽しみにしてくれていました。
叶ちゃんも、パパとおばあちゃんと会うのは嬉しいことでした。特に、おばあちゃんの家は、庭も縁側もあって、いつもどこかにワクワクを隠しているような気がして大好きな場所でした。
ただ一つ、なぜママはいつも一緒じゃないんだろうって思っていました。
今日だってママは、叶ちゃんをおばあちゃんの家の前で車から降ろすと、出迎えたおばあちゃんに一言挨拶しただけで、そのまま帰ってしまいました。
いつも遅れて来るパパはおばあちゃん家で叶ちゃんと一緒に過ごした後、叶ちゃんをアパートの前まで送って、ママに会うこともせずに帰ってしまうのがお決まりでした。
綺麗な三角錐をしたスイカがまだ二つ、お皿に盛られています。
おばあちゃんの手の中のスイカは、一口齧られた痕をそのまま残し、叶ちゃんの持っていたスイカはうっすら赤い皮だけになっていました。
おばあちゃんは、新しいスイカを一切れ叶ちゃんに手渡すと、
「そうねぇ」
と小さく息をつき、逆に叶ちゃんに聞きました。
「叶ちゃんは、大好きなお友達が悲しい顔をしてたらどう思う? 」
叶ちゃんは、お友達のあおいちゃんの顔を思い浮かべてから答えました。
「どうしたんだろうって思うかな」
すると、おばあちゃんはニッコリ笑って、
「おんなじよ」
と言いました。
叶ちゃんは首を傾げて、おばあちゃんの顔を覗きました。とても優しい目がそこに溢れていました。
「おばあちゃんは、叶ちゃんが大好き。悲しい顔をしてたら、心配で、おばあちゃんは眠れなくなっちゃう」
そう言うおばあちゃんの言葉を聞きながら、叶ちゃんは心許なくコクリとしました。
おばあちゃんはそんな叶ちゃんをみながら、また質問しました。
「叶ちゃんは、ママのことが大好きでしょう? 」
「うん」
と、今度は自信を持って、叶ちゃんは強く頷きました。
「ママが悲しい顔をしてて、叶ちゃんも心配でよく眠れなくなっちゃったら、おばあちゃんも心配で眠れなくなっちゃうのよ」
そのおばあちゃんの言葉になんだかくすぐったくなって、叶ちゃんは、
「みんな、眠れなくなっちゃうね」
と、小さく笑いました。
おばあちゃんも、くすぐったそうに笑うと、
「だから叶ちゃんが大好きなママには、笑っててもらわなきゃねぇ」
と言いました。
叶ちゃんは、
「じゃぁ、あおいちゃんは? 別に、あおいちゃんが悲しくても叶は眠れないってほどにはならないけど、でも、叶がそれを悲しいって思ったら、おばあちゃんも悲しくなるの? 」
と、不思議に思って聞いていました。
おばあちゃんは、食べかけのスイカをお皿に戻すと、叶ちゃんの空いた手を包み込むようにして言いました。
「あなたが大切に思う人は、おばあちゃんにも大切な人になるわね」
そんなおばあちゃんの手は柔らかくて、しっとりしていました。そうして、叶ちゃんの手がペタペタしてるのに気がつくと、
「布巾、布巾」
と言いながら台所へ取りに行きました。
縁側で、叶ちゃんの足がぷらぷらしています。
叶ちゃんは、手にしたスイカに勢いよくかぶりつくと背筋を伸ばし、ぷっと種を飛ばしました。
サクラの幹から、ジジと大きく蝉が鳴き立ちました。
飛び去った蝉を見ようと急いで縁側を降りましたが、もうどこにも見当たりませんでした。
そして、
( 一緒じゃなくても関係ないんだ )
と、目で蝉を探しながら思いました。
サワサワと葉を揺らし、叶ちゃんの背中を風が通り過ぎていきました。
空へ向かってもう一度、ぷっと飛ばした種も、どこへ飛んだのか見えなくなりました。
いつの間に戻ったのか、布巾を手にしたおばあちゃんがそれを見ていて、
「来年、庭のどこかで芽が出るかもしれないわね」
と、嬉しそうに笑いました。
愛があるのは子の方だ
親の愛情不足という文言をまた目にした。
いつも思う。
そもそも親の持つ愛情は愛情なのか、と。
愛を持っているのは子の方だ。
私はその世間の認識を払拭したい。
子供はどんな親だろうが、自分の命を全て委ねる。
受け入れる。
あの、子がよせる親への全幅の信頼と全肯定を私は他に知らない。
親は違う。
子供を全肯定はしない。できない。
他と比べて、歩くのが遅い、喋るのが遅い、字を覚えるのが遅いとできないことに不安する。
できたとしても、そのできたことに喜び、価値をおき、もっともっとと欲する。
こんな子に育って欲しいと願い、要求する。
果たしてそれを愛情とよぶのか?
一方、子供は、親を全肯定する。
疑うことをしない。
親のすること、やること、望むことを、真似して成長していく。
親の要求することに懸命に応えようとする。
虐待を受けた多くの子供が、なぜ揃えたように「私が悪い子だから」と口にするのか。
それは、親を全肯定している表れのひとつだ。
と、私は思う。
愛情があるのは親ではない。
愛を与えるのも親ではない。
子供から愛を貰っているのだ。
愛を貰うから、そしてその子供の愛に気づかされるから、親は子に愛情を抱くのではないか。
そうした子供の愛に気づけない、子供の愛を受け入れられない人が、「子供を愛せない」と嘆くのではないか。全肯定されるのは、実は怖いことだから。
だから親は、子育てをしながら自分の心を見つめ直すことになる。
自分で自分を肯定していくことができて、やっと、他から貰う肯定を受け入れられるようになるものだから。
親は、そうした子供の持つ愛(信頼、全肯定)に、どれだけ応えてあげられるのか、ではないか。
人ひとりの信頼に応え続けていくことは怖い。しんどい。辛い。
全肯定されることが、こんなに怖いことだなんてと、私は慄いたものだ。そうして愛おしくなった。
目の前の委ねられた命は、私がどんな人間かも知らずに、全てを預けている。私が「良いこと」と言ったらそれを「そうだ」と信じる。きっと、カラスは白いと教えたらこの子は「白」だと思うのだ。楽しいと笑えば、楽しいと感じるようになるのだ。
正しいことが何かも分からない人間が、この子に正しいことなど教えられるのか?
そうした怖さがいつもあった。
だから、子供は一人では育ててはいけないのだと思う。
私が正しい、良いこと、楽しいと感じることばかりではなく、より多くの人の、正しい、良いこと、楽しいに触れられるように。
そうして、その中から、自分の正しい、良いこと、楽しいが創られていくように。
間違っても、親の思う正しい、良いこと、楽しいを押しつけたりして、それが絶対だと思わなくてもすむように。
それでも「愛情不足」という言葉を使いたい人がいるなら、それは、子供の愛に応えられない大人社会の愛情不足だ。互いが信頼し、肯定しあえる社会がないことにある。
子供の愛に応えてあげられる社会の実現は、誰もがかつて子供であったことを思えば、誰にとっても自分の愛に応えてくれる社会であるといえるのではないだろうか。
愛を、「望み」とはき違えることがなければ。
嫌われる勇気じゃない
嫌われるのが怖いのではなくて、本当は「好きになる」ことが怖い。
好きになったら幻滅するし、
好きになるから嫌いになるし、
好きだから嫌われたくなくなる。
期待に応えたくなる。
そして、もうこれ以上、期待に応えられない自分をみたくない。
人を嫌う自分を嫌いになりたくない。
(全てを許容してほしいという深層にあった心が、無意識に全てを許容しなければと思っていた。だから、相手の期待に応えられない自分がダメなのに、不甲斐ないのを棚にあげて嫌いになるとか、超絶身勝手すぎる!ありえない!って首を絞めてた。)
そうして昔は拗らせていたから、好きになる前に関係を切っていた。
立ち入らせなかった。
好きにならなければ嫌いになることもなかったから。
同じように、好かれている間に別れたいと、よく思ったものだ。
どこかで気がついていたんだよね。
好きになったら「嫌い」も必ず出てくることに。
ただ皮肉なことに、人とのあらゆる関係は、自分が「好きになる」ことから始まる。
そして「好きになる」ことがなければ持続しないのだ。
なぜって、「好きになる」ことでそこに他者が存在するようになるからだ。
心に他者が存在しないとは、孤独ではなくて孤立だ。心の孤立なのだ。
そんな中、それでも私が「好きになった」人達から学んだことは、嫌いになっても構わないということ。
幻滅してもいいし、悪態をついてもいいし、期待に応えなくてもいい。
全部を好きじゃなくていいんだってこと。
私はこれで、とても楽になった。
好きになることが怖くなくなったのは、一度好きになったら死ぬまで好きでい続けなければ裏切りになると、どこかで思っていたからだ。
ちょっとでも嫌いなところとかあったらダメだと思い込んでいた。それもあって、好きな人のダメなところとか見えても、見て見ぬ振りをして懸命に許容しようとしていた。
ダメじゃない。ダメと思ってしまう私の心が狭いんだって。
私の幸いなところは、弱みにつけ込んで踏みにじるだけ踏みにじっていこうとする人達が周りにいなかったことだ。
(見守って下さったご先祖さまに感謝しております)
好きな人の中に嫌いなところはあるし、嫌いな人の中にも好きなところはあるものだ。
そうして相手も、その事は重々承知の上なのだ。重々承知の上になければ、その関係はいつか破綻するように思う。
だから、ごめんねとありがとうが日常に必要で、必須の心となる。
なかったらやっぱやってらんないってなるのが人ってもんだと思うんだ。
嫌いが持続しない、持続させないって、とっても大事。
つまり言い換えたら、「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えたらどこでも生きていける!ってこと。
これは私の持論だから、
「そこそこね」
と弱気をつけ足しておく。
私もまだ人生の途中だから、さ。
それに気がついてからは、自分の中にも好きなところと嫌いなところがあって当然なのだと思えるようになった。嫌いなところをダメだと思わなくなった。
あ〜、そんな日も、そんな時もあるよねぇ。ドンマイ!次からもうちょっと気をつけるー
(直るとは言わないし、直すとも言わない)
そんなんだから、相手にも求めなくなった。
「そういうとこ、嫌いー」で済むようになった。
(たいてい本人に言う。ちなみに「そういうとこ、好きー」も思ったら言う)
そうして、言えるようになってから気がついた。
「そういうところが嫌い」って本人に言えるのは、それでも好きだと感じる心があってのことなのだと。
「そういうところが嫌い」って言われても受け入れられるのは、それでも私の「好き」がそこにあるからなのだと。
それでも好き、
だから好き、
含めて好き、なのだ。
本当に嫌になって関係を絶ってしまいたい時は、本心を見せたくなくなる。それは、「嫌い」という言葉だけでなく、どんな言葉もなくなるということだ。
言葉は心そのものだから。心のない言葉は空っぽで、空っぽだから上滑りしてどこにも届かない。
だからといって、好きだと思っていた「時」の事実は変わらない。
インサイドヘッド(ディズニー映画)を観た人はわかると思うけれど、最初は一つの思い出には一つの感情だった想い出の玉が、最後はあらゆる感情が織り交ざった玉になっていた。
(観てない人は、なんのこっちゃって話だから、機会があったら観て下さい。o┐ペコリ)
本来、人の感情とはそういうもので、一つの事柄に一つの感情なんてありえない。
好きと嫌いは喜怒哀楽だけでなくあらゆる感情の元となるものだから、もっと混在していて不思議はない。
むしろその方が自然だ。
一度「好き」と思ったら、ずっと好き、全部好きではなくて、
「好き」と思ったその時があったのなら、
その事実があったことは変えようがない、
ということなのだ。
もし、「あの時の私はどうかしていた」と、あった感情をなきものにしようと誤魔化したとしても、他人は欺けても自分で自分を欺くのは骨が折れるし、そのうち本当の自分の気持ちが分からなくなるからやめておいたほうが良いよと、そっと置いておきます。
そして、ずっと好き、全部好きって今思っている人がいたら、
幸あれ!♪
その気持ちに嘘がないなら、嫌いになところを見つけても、ダメなところがあっても、互いに上手くやっていけるさ(´∀`*)
きっとね、きっと。
いいところひとつ
それで人間生きていける
だめなところたくさん
それで人間愛される
エロってなんだろう?
この間、とあるツイートを読んでふと疑問に思ったので、自分なりに解釈するために調べてみた。
まるで中学生みたいだと思いながらw
エロを調べると、わいせつという言葉が出てきた。わいせつってなんだろうってウィキを開くと、「社会通年に照らして性的に逸脱した行為」とある。
ますます分からなくなった。
そこで、エロの語源となったエロティシズムをウィキで読んでみた。
リビドー、ギリシャ神話の女神エロース、キリスト教でいうところの愛であるエロス・フィーリア・アガペー、プラトンのイデア論などなどの名前がずらずら出てきた。
面白いなと思ったのは、バタイユの考え方だった。
「自己を失う危険を冒しつつ他者との共同へと……身を溶け込ませようとすることが、すなわち快楽である」
「性衝動が繁殖と結びつくと、自己保存の本能という地平を越える」
そして、シモーヌ・ド・ボーヴォワールによる「個体性は要求されない。雌は、種の保存のために自己放棄が必要だとすれば、自己を放棄するのである」とあり、従ってポルノグラフィとエロティシズムを明確に分けるのは正しいとあった。
「猥褻はリアリズムの特徴を帯びている。そこでは肉体や性行為は、モノとして示される」とも。
なんとなく、腑に落ちた。
わいせつは、性をモノとして扱うから気分を害し、エロティシズムではなくエロは、モノとして扱われることで感情を扇情させるよう特化されているんだなと。
性行為は個の放棄に繋がる。
この考えは、私にはなかったものだけど、言われてみたらそうかもしれないと思えた。忘我の境地でいられる時は、性行為でなくとも気持ちがいい。
けれど個を放棄することは、恐ろしさや怖さでもある。性行為でなくともモノ扱いされるのは不快だ。
なのに、放棄しながら他者との共同へと身を溶け込ませることができたなら、さらに大きな快楽になるだろうなとも思えた。
つまりは、どこかで人は個を放棄したいと願っているのかなぁとも。
そこでつらつらと考えてみた。
個を放棄することは、本当に快楽になるだろうかと。
私は、自分の背中は見たことがないのに、背中がどういうものかは知っている。
なぜならそれは、人の背中をみて、私の背中と思っているからだ。
アダムとイブは禁断の実を食べたことで、互いが裸であることに気がついたとあるけれど、それは、人の背中は私の背中ではないと気がつくことに似ているのかもしれない。
つまり、他者をはっきりと意識することにある。自分とは違うことに。そこに羞恥心が生まれたと考えると説得力が増す。
例えば、人の目がない風呂場で裸になっても恥ずかしくないように、誰もいなければ恥ずかしさは生まれない。
とはいえ、誰もいないのにとある行為をすると恥ずかしさを感じることはある。それは、他者という自分の目が自分の中に既にあるからだ。たぶん、良心とか、客観性とよばれている類のもの。子供の頃を思い出してみるとわかる。自分の心に他者がいない頃は、罪の意識も恥ずかしいと思うこともなかった。
私の感じていることは私しか感じていない。
一体感からの断絶である。同じだと思っていたところに、同じではなかったという衝撃は絶望や不安や猜疑心を生む。なぜなら私が感じていることを相手も同じようには感じていないのだから。
疑いはこうして生まれる。
違いながらも同じであることを希求するのは、他者の存在がなかった頃の一体感がもたらしていた喜びや安心感にあるとしたら、バタイユのいう「共同へ身を溶け込ませることは快楽である」というのも頷ける。
ひょっとすると、モノではなく、個としての同じを求め求められた時、個は必要なくなるのかもしれない。
そんなことを思った。